古くて新しい研究をするための意志力

今日は普通に出勤する日。

大学院の役割について。難しい話なのだが、大学院は教育機関である以上、脱落者をできるだけ出さないことを目指したい。しかし、大学院は研究機関でもあるので、研究をしない限り卒業できない。ただ、現状がどうであれ、ちゃんと学位が取れるように指導するのも教員の役割であって、研究に時間を使っているにもかかわらず学位が取れずに退学させざるを得ないとすると、教員の力不足ということになるだろう。

とはいえ、ほとんどの場合、退学する人はそもそも研究に時間を使っていないと思われる。最大限環境を整えて自主性に任せた上で、研究に時間を使うように誘導するのまで教員の役目かどうか、自分には確証がない。ナチュラルに誘導できるならベストであるが、教員にその力量がない場合、強制力を働かせるべきかどうか、という話である。自分の現時点の考えでは、大学院は(学部教育はまだしも)義務教育でもなんでもないし、強制的にやらせないとやらない人は諦めたほうがいい、と考えている。そういう人をなんとかしようとすると、文字通り無尽蔵に教員の時間が吸い取られて疲弊し、お互い精神的に追い詰められ、他の学生どころかプライベートにまで悪影響が及んだりするのだ。

午前中はメールの処理。全然追いついていないが……。

午後は研究会。昨日できなかった人たちを、と思ったのだが、1時間半では結局昨日と同じく2人しか進まず、来週に持ち越し。4人の進捗報告をやろうとすると、3時間確保しておかないといけない、ということのようである(それくらい議論することがあるのは、いいことだが)。

研究室メンバー全員で Theano で書かれた深層学習のチュートリアルソースコードリーディングをしたのだが、分かりやすく書かれていて、使いやすそう(自分で作らず pylearn2 を使ったほうがいいかもしれないが)。ドキュメントも充実しているし、これは流行るわけである。これで使えないとしたら、それはプログラミング言語の問題ではなく、機械学習アルゴリズムの理解の問題か。

研究会のあと、研究に関する相談を受ける。自分が過去に手がけた研究テーマの一つだと、勘所は分かるので、どこまでは問題なく行けるのかはすぐ理解できるのだが、どこから先が難しいのか、先入観があるのが悩ましい。この先入観を外すのが苦手なので、昔に取り組んだタスクにはあまり取り組みたくないくらいである(よく「それは70/80/90年代に散々研究されたけど、それとどう違うの」と言われるが、自分がそれを言う立場になりそうで)。昔はできなかったけどいまはできるようになった、ということの積み重ねが新しい研究につながるので、昔も知ったうえで、それでいて心を新たにして向き合う強さがほしい。

夜は保育園の全体会。月に1回、保護者と保育者が原則全員参加(遅刻早退は許されるが、欠席は不可)で保育園の運営に関わる内容を議論する会が開かれているのである。ここに通う子どもたちのお父さんお母さんはどういう人かと思っていたが、割と我々と同世代かやや上の世代のようで(恐らく産んだ年齢が同じ)、話も通じやすそうである。

思えば今の保育園に入れようと思ったのは、たまたま見た子どもの名簿(緊急連絡先)でなんとなく雰囲気が分かり、そのとき我々も娘の名前も決定したからであった。(いくつか他に有力な候補があったのだが、この保育園に通わせるならこの名前だろうと思ったし、通っている姿がありありと想像できた)

認可保育園にすることを検討中らしいが、先行き不透明なので、なんともいえないところ……。