産みの苦しみを教えるということ

娘が生まれてこのかた、本どころかマンガを読もうにも読む時間がないので、買うだけ買っておいて1週間後に読んだりしている(これまでは、買った日に読まないことはほとんどなかったのだが)。

そんな最近いちばんおもしろかったのは、「かくかくしかじか」である。東村アキコという漫画家の自伝なのだが、高校生時代から書きおこし、美大を受験・進学して、いろいろあって漫画家としてデビューして、というような出来事を、現在(作中は約20年前からスタート)とときどき行ったり来たりしながら描いている。

美大マンガというと「ハチミツとクローバー」「マホロミ」みたいなのが思い浮かぶが、「かくかくしかじか」は就職の話や美大の受験(浪人)の話も生々しく書かれていて、コミカルでおもしろい。(Amazon のレビューも読ませる。)

自分が特にこの作品で好きなのは、作品を産み出す苦しみというものを、真っ正面から取り上げていることで、恐らく作者は毎回七転八倒しながら昔のことを思い出して綴っているのだろうが、研究にたとえると論文を書くということは油絵を描くのと同じように身を削ることであり、そのなんともいえないストイックに自らを追い詰めないといけない感じがたまらない(と書くと変態のように聞こえるが、ある意味変態かも……)。

自分としては何が何でも論文を書きたいわけでもないし、他人に書かせたいわけでもないのだが、大学院に進学する人は、曲がりなりにも「研究」の府に入ってくるわけだから、研究のお作法を学び、産みの苦しみを一度体験してもらう、ということを目標としている。大学院は研究機関ではなく教育機関、という意見の人もいるだろうが、何を教育するかというと研究の仕方を教育する場であるので、結局学生が研究をするのを辛抱強く見守り、必要な手助けをする(研究機関であれば、自分がやったほうが速ければ自分がやればいい)のが仕事なのだと思う。ほとんどの学生が修士号を取得してから論文を書くような仕事につかないとしても、論文を書くという体験をすることが、大学院でなすべきことである、と考えている。

東村アキコつながりで、「ママはテンパリスト」も笑える。

子どもってなんでこんなにおもしろい行動を取るんだろうなぁ。