後手という生き方

最近将棋の棋士が書いた新書が増えているので見つけ次第買って読んでいる。寝る前に1-2時間くらいで読めるので、読んですぐ思いついたこと書けるのがよい。読むのに2日以上かかると読書ノートでもつけないとなにを思ったのか思い出せなくなってしまう(そろそろ記憶力やばいか?)。

で、今日は瀬川晶司後手という生き方』(ちくま新書)について。

瀬川さんはプロ棋士になるための育成機関である奨励会というものに中学生で入会して、プロ棋士になろうと努力していたのだが、26歳までにプロ棋士になれなければ退会しないといけない(= 永久にプロになれる夢はなくなる)規定で退会を余儀なくされ、しばらく本や資料も全部捨てて将棋から離れて昼間働きながら夜間の大学に通うことにした。30歳から NEC の関連会社で会社員として働き始めてから将棋を再開してアマチュアで活躍、そしてプロ棋士との特別対局にも勝ち越すようになって、周囲の人が応援して「瀬川にプロ棋士の試験を受けさせて欲しい」という嘆願書を出すに至って、請願が認められ、厳しい試験をくぐり抜けて35歳からプロ棋士になった、という経緯。

将棋は最近ではプロの対局だと先手の勝率が52%くらいで、若干先手が有利ということになっているのだが、これはどうしても後手だと主導権を取って攻めようとすると先手より1手遅いことがネックになり、相手に合わせて戦法を変えないといけない、ということが背景にある。とはいっても自分から動くのが好きではない人もいるし、後手には後手なりの楽しみ方があるから、後手でもいいんじゃないか、というのがタイトルの意味。

文章としては読みやすいとは言えないが、内容はところどころ共感する。はっとしたところもある。自分も相手の出方を見て自分の戦法を決める性格なので、後手向きなんだと思う。名人を4期経験した森内の言葉として「先手番のときは将棋盤と戦い、後手盤のときは相手と戦う」という言葉が紹介されていて、著者の解釈は「先手番のときは正しく指せれば相手が誰でも勝てるはず、後手番では相手にミスしてもらうための戦略が基本になる」ということで、自分も後手番のほうが好きだったりする。だから最初から最後まで正しく指す正統派の人には分が悪かったが、ここまで指して負けたら仕方ない、と思って指す感じだった。逆に「こんな手指すなんてふざけんな!」という手で負けるとものすごく悔しかった(笑)

いくつか「これは」と思ったことはあるのだが、研究にも通じるなと思うのを一つだけ引用(p.70)しておくと、

プロになりたてのころは、アマとの一番差がある部分は序中盤だと思っていたのだが、これはとんでもない間違いだった。(…中略…)将棋に接する時間が多いプロとアマチュアの差が大きく出るのはこの部分のように思われるが、実際は「勝つことにかける執念」がプロとアマは全然違う、桁違いなのだ。

ということで、国際会議に毎年通しまくれる人と自分のような大学院生との違いは、おもしろいテーマを見つけられるかとかロードマップがしっかりかけているかとか、はたまた実験がしっかりできるかとか文章がうまいかとかかなと思っていたのだが、こういう「あきらめの悪さ」がプロになるためには重要なのかもな、と思う。あまり物事に執着しない性格なのだが、昔はそうでもなかったので、中学生くらいの気持ちに戻ってみるといいのかな?

勝ちに執着する、というと大崎善生聖の青春』(講談社文庫)を思い出す。たまたま検索すると他の人が書いた書評が見つかったが、確かに読んでいると(もしかしたら将棋指した人にしか分からないかもしれないけど)ぐっと来るものがある。一通り登場人物(羽生とか谷川とか先崎とか)知っている人はお勧め。(いま日記を検索したら2001年のとき相談員部屋にあったから読んだ、と書いてあったが、そんなところで読んでいたのか……。もう6年も前のことになるのだが、あのころとだいぶ考え変わったな、とつくづく思う)