卒論

最近になって去年この時期に書いた卒論を読み返したのだが、もうだいぶ内容忘れてしまっている。卒論の続きを書くために必要な資料がこっち(天理大学)にあるので、夏休みにでも続き書こうかなと思って卒論ノート(4冊)と卒論関係の書籍(研究書10冊くらいと資料のコピー)と持ってきていたのだが、夏休み前は勉強で忙しくて、夏休みはインターン行っていたし、夏休み後も勉強とバイトと研究でやることありすぎて、全然手を入れるどころではない。研究面に限っても科学史・科学哲学関係でやり残したことは何個かあるのだけど、書き切れなかった部分はいつ書き足せるかなあ。

taku さんも論文を書く秘訣はとにかく結果が出たらまとめて出すこと(時間が経つとあらばかり見えてくるし内容も忘れてくる)だと言っていたが、まさにその通りだ。

takahi-i さんは修論を製本して手許に持っているそうなのだけど、自分もこの論文はけっこうあちこち駆けずり回って書いたので思い出深い。たった30ページかそこらなのだけど註が88個(脚註を除く)ついている。こんな註が多い文章って日常書かないよなあ。自分も書くまではそんなに註なんて必要ないと思っていたのだけど、書いてみるとどれも必要なもので、文科系で論文書くのってこういうことかー、ということを学んだ。

卒論を書き上げた直後 H 山に渡したことがあって、彼は秋に奈良に遊びにきたときそれに半分くらい目を通してコメントをくれたのだけど、「あぶさん高校のころと比べて文章下手になったよね」と言われて、薄々感づいていたけどそのものずはりと言われてなるほどな、と思ったものであった。特に web で日記を書くようになって推敲しないで文を出すことが多くなり、文章力の低下が著しくなってしまったのだが、高校生のころと比べると書く能力かなり落ちてしまった。漢字も読めなくなっているし。今となっては笑い話だが、高校生のころは小説家になろうかと思っていたこともあったりする。若気の至りってのはすごいものだけど、あのころのフロッピーってもう今は物理的に読めなくなっているのだろうな。