ICML 読み会

機械学習系の国際会議の論文読み会に出る。今回は筑波大学から宇津呂さんも参加。勉強にはなったが、自分の研究にはあまり関係ないかなー(と思ってもこういうのに出ておくとそのうち役に立つので出ている)。今回もカレー部と共催。カレー食べて論文読んで解散。宇津呂さんこれからスーツケースごろごろ引っ張って地区センターまで歩いていって新大宮行きのバスに乗る(注: NAIST から地区センターまでは歩いて15分程度)というので、それならと思ってお送りする。新大宮駅前に東横インができてすぐだそうで、お盆までは3000円で泊まれるらしい。NAIST からホテルまで、車だと片道25分。バス停まで歩いていってバスを待っている間に着くし、やはり奈良は車があるかないかでだいぶ違うなあー

帰ってきてから、リチャード・ハミング「あなたとあなたの研究」の翻訳が公開されているのでひとしきり読む。ところどころ誤訳とか訳し抜けとかあるけど、英語で読むよりは日本語のほうがやはり読みやすいな……

ボーデが言ったことは「知識や生産性は複利に似ている」ということでした。ほとんど同じ能力の人が2人いて、一方はもう一方より10パーセント増しで働いているとします。後者は前者の二倍以上の生産性があるでしょう。知れば知るほど、さらに学びます。学べば学ぶほど、もっと行動できます。行動すればするほど、チャンスが増えます。それは複利に似ています。比率を言いたくはありませんが、非常に高い比率です。まったく同じ能力の2人がいて、一方が毎日1時間ずつ多く考え続けたら、生涯ではものすごく生産的になるでしょう。私はボーデの注意を肝に銘じました。私は数年間、もう少しだけ一生懸命に働こうと努力しました。そして実際、もっと成果を出せることがわかりました。妻の前では言いにくいのですが、私はときどき妻をちょっと無視しました。私は研究する必要があったのです。欲しいものを得たいなら何かを切り捨てなければなりません。これにはまったく疑問の余地がありません。

知識は複利に似ている、というのはおもしろい喩え。なにかで最近読んだのだが、人間苦しいときが一番成長していて、楽なときは知っていることしかやっていないから成長していない、という話を思い出した。

別の特徴は気付くのに時間がかかりました。ドアを閉じて仕事をする人と、ドアを開いて仕事をする人の差です。研究室のドアを閉じて仕事をすれば、今日も明日も、他の人より多くの仕事ができます。ですが10年かそこらが経つと、自分の仕事に取り組む価値があるかどうかがまったくわからなくなってしまいます。自分がしている大変な仕事も、たいして重要ではない仕事なのです。ドアを開けて仕事をする人は、さまざまな割り込みをされます。ですがときどき、世間とは何か、そして何が重要かの手がかりを手にします。「閉ざされたドアは閉ざされた心の象徴だ」とお思いかもしれませんが、因果関係を私は証明できません。私にはわかりません。ですが私はドアを閉めて働く人のほうが、しばしばより一生懸命に働くにもかかわらず、ドアを開けて仕事をする人と最終的に大きな業績を挙げる人の間にはかなり強い相関関係があります。なぜだかドアを閉めて働く人は、少しだけ方向を間違えてしまうようなのです。それほどは間違わないのですが、でも有名になりそこねるのに十分なくらいには間違うのです。

いろいろヒントがちりばめられているので読んでいておもしろい。