法学は公平性を重視する

日曜日で Google Calendar にも記録が残っておらず、写真も1枚もなかったので、何をした日なのか全く思い出せない。お盆の前半は娘の体調が良くなかったので、家の中で過ごしたのかもしれない。

最近読んだ本でおもしろかったのは「カフェパウゼで法学を」である。

カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

カフェパウゼで法学を―対話で見つける〈学び方〉

Amazon リビューを書いたのは自分なのでそちらを読んでいただければ感想が分かるが、法学というものはこれまで自分とはもっとも縁遠い学問だと思っていたところ、実は大学運営は(研究室運営も)法学的思考が必要であって、どういうふうに考えるのか、ということが分かってとても参考になった。このまま大学教員を続けるには、きちんと法学について勉強した方がいいように思っている(あと、それなりの規模の組織を運営するに当たっては、法学部出身者が一定数必要であるということも分かった)。

法律や規則の方が書き方が決まっているから自然言語処理では解釈しやすい、と言われる(思われる)ことも多いが、どういう背景でこのような規則が生まれているかと、必ずしもそうじゃないのではなかろうか(書き方のバリエーションは少ないような制約がかかるだろうが、わざわざ曖昧性を残して解釈の余地ができるように書くことがあるという事実を考慮すると、意味や論理のレベルでは曖昧性は解消されない)。

あとこの本から言及されていた「役人学三則」もおもしろかった。

役人学三則 (岩波現代文庫)

役人学三則 (岩波現代文庫)

これまでなぜ官僚的組織が前例主義になったり短期間でローテーションして専門を作らせないようになったりするのが意味不明だったが、大規模な組織を長期的に維持するためにはそういう仕組み(公平性の担保)が必要なのでそうなっている、というのが分かった。長期的に組織が整合性を保つためには、個人としてはあるいは短期的には不合理に見える判断もありうる、と。

裏を返すと、長期的なことを考えなくてよかったり、規模が小さかったりする組織であれば、そのようにしないことのメリットを享受できる可能性があり、スタートアップ企業なんかはまさにそうだと思うのだが、組織としては小さくても歴史があるとか、逆に歴史がないけど大きな組織とか、そういう場合にどちらに振ればいいのかは難しいような気がする。(組織の規模ではなく歴史的経緯で運営方法が決まりそうだけど)

ちなみにとある本の Amazon リビューを書いたら著者の方から問い合わせがあり、難しいものだと思った(推敲したつもりだが)。自分のやり方も最適ではないけど、自分がこういう活動に使える時間からすると、これが限界かな……。そもそも今は仕事以外で使える時間が限られているから、まだ日記を書いていた方が有意義で、こんなことに首を突っ込むべきではないのだろう。(ちなみにこの記述を見て自分の Amazon リビューを調べてどれがその本か探す人は、粘着質の人だと思う。)