教育も所変われば品変わる

今日は Bett Asia Leadership Summit というイベント参加のためにクアラルンプールに来ている。そもそもどういう経緯で自分が招待されたのか不明で(分野外の国際会議や国際ジャーナルへの投稿のお誘いはしょっちゅう来るが、ほとんどスパムだし)、謎のイベントだったので過去2回辞退しているのだが、かなり前から誘ってくれているので、今回は参加することにしたのであった。

行ってみると MicrosoftAdobe を始めいろんな企業がスポンサーをしていて、各国の文部省の副大臣(日本の場合は文科省総務省の参事官レベル)の人が来て各国の事情を協議したりするイベントで、 400-500人は来ていたし、本当に「サミット」呼ばれるだけあるイベントのようだが、なんでこのイベントに呼ばれたのだろうか(汗)

自分がパネリストとして登壇するセッションの前に、マレーシアの報道局の人とマレーシアの教育事情などについて話してみたが、クアラルンプールでの生活は結構厳しいようだ。経済は上り調子のように見えていたので意外だったが、携帯代だとかの固定費が高いらしい。あと、大学を出ても仕事がなければ需要のある仕事に就けるよう再教育してくれる、という話で、こういう雇用調整があるのはいいのでは、と思ったりする。結局学生のやりたいことを優先しても、それが仕事に使える知識という訳ではないので、大局的にはこのような調整が必要なのだが、学生がやりたいことではない場合、そのコストは学生本人ではなく国家だとか企業だとかが払うべきだと考える。

パネルディスカッションは "Supporting ELT with technology: With English becoming more and more vital in a global context, how can technology enable better language learning?" というお題で、小一時間ほど自分を含めた4人のパネリストが登壇してそれぞれの立場を話しつつ、会場からの質問に答える、というスタイル。技術寄りの人が自分を含めて2名、英語教育寄りの人が2名、という構成である。

ディスカッションとして自分が伝えたかったこと(自然言語処理機械学習によって英語学習はもっと効率的になるが、機械翻訳が実用的になるにつれて言語教育そのもののあり方が急速に変容していくだろう、という、英語教員に向けた警鐘)は伝えられたと思うし、有益な議論ができたとは思うが、終わったあとの反省会(?)で、お互いの立ち位置についてはもっと事前に意識合わせをしておいた方がよかったね、という話が出て、それはそうだなと思ったりする。特に英語教員側の人は突然そんなことを言われても困惑するばかりであったようで(もっとも、自分も最近の技術の発達速度には困惑している)、これは大いに反省している。もう人文系にいた期間より理工系にいる期間の方が長くなり、自分の中でも理工系的な考え方の方が優勢になりつつあるので、ときどきシャッフルしておかないといけないようにも思う。(その意味で、このサミットへの参加は自分にとっていい機会だった)

他のセッションを聞いたり他の参加者と話したりすると、アジア各国で教育事情が大きく異なり、Wifi につながるのが当たり前の国から、そもそも小学校に電気が来ていないのが大半の国まであって、こういう差がある中で「技術で改善されていく」と信じることがいかに楽観的か、という現実を突き付けられる。もちろん技術的な問題のほとんどは技術的に解決できるわけだが、このような温度差、格差があるということを認識する、というのは技術的に解決できるわけではないし、イギリスの EU 離脱やアメリカの大統領選のように、自分から見えている部分が全てではない、というのをもっと意識しないといけないと思った。

帰りは23時半の便なので、18時にセッションが全部終わってから空港に行き、時間があるから余裕かな?と思ってシャワーを浴びたりフットマッサージを受けたりしていたら意外と時間がなく、慌しく帰る。そもそも木曜日は空港から大学に直行だし、ハードな日程……。