朝起きて子どもがそばにいる暮らし

遡って日記を書くと、その日何をしたのか思い出せないことがあるのだが、この日の午前中、何をしたのか思い出せない。午後には出かけているようなのだが、1日メールを1通も書いていないし、午後しか写真を取っていないし、この日1回しかツイートしていない(しかもリツイート)し、何か忙しかったっけな?

子どもが生まれる前は、子どものいる生活がよく分かっていなかったが、子どもがいるということは、子どものそばに(起きてようが寝てようが)大人が1人はついていないといけない、ということで、しかも子どもが起きていると子どもの何らかの相手をしないといけないので、相手以外に何もできない、ということを改めて振り返る。

自分の時間が減ったのは嫌か? と言われると、別にそういうわけでもないし、子どもといるのは楽しい時間なのだが、とにかく娘といるときは他のことができない、というのは確定事実なのである。とはいえ、自分で歩けるくらいからは、お手伝いをしてくれるようになったり、お手伝いをしてくれないまでも、自分で好きなことをしてくれるようになったので、近くにいて(一緒に)家事ができるようになったのは大きな進歩で、2人で楽しく家事をしているのであった。(iPhoneiPadMac をいじっていると、一目散にこれらを触りに来るので、書くことはおろか見ることもできないわけだが)

ちゃんとカウントすると、朝7時〜9時までと、夜18時半〜20時半までの合計4時間を起きている娘と過ごしているので、否が応でも娘中心の生活にならざるを得ないわけだが、こんな生活もすぐ終わりで、もうそろそろイヤイヤ期が始まるだろうし、今は毎日笑顔を振りまいてくれるが、そのうち向こうから離れていくのだろうなーと思ったりもする。

父としては、娘が生まれたこと自体で「これ」というきっかけで何かの繋がりができるわけではなく、毎日一緒にいることで少しずつ絆が生まれてくるのではないかと思うのだが、自分にとっては、1歳を過ぎたある朝、娘が起きたら自分から「おはよう」と言ってくれたのが、スイッチが入る瞬間だったように思う(夜は自分と娘だけで寝ているので、それから朝娘が起きてくる時間が楽しみになった)。それまでの1年間は、特に可もなく不可もなく、寝ている娘がトトロに抱きつくメイよろしく全身でこちらに抱きついてミルクを飲むのを若干可愛いと思うくらいであったが、自ら単語を使うようになるというのは感動的なのであった。

将来娘とあれやこれや学校の話をしたりするのも楽しみだし、一緒にお風呂に入るのはそのうち卒業だろうけど、毎日夕食の時間には帰りたいなと思うのであった(中学受験で塾に通うようになると、遅くなるだろうが、10年後だろうか?)。

午後は西松屋に行き、パジャマを補充したりする。洗濯・物干し・取り込み・たたみは自分の分担なのだが、最近は無精をしていて土曜日に一気に1週間分をたたむので(洗濯と物干し、取り込みは洗濯機のキャパシティと乾く速度がボトルネックなので、毎日)、冬用パジャマが1週間分ないと切れてしまうのである(3着買ってはいたのだが、3着では足りなかった)。BABY GAP とか OLD NAVY とかミキハウスとか、可愛いのは色々あるのだが、あったかそうなのとか、家で使うものに関しては、機能性を考えると西松屋に落ち着くなー。保育園で着るものは、お下がりを保育園でもらうしな……。