勉強は自分のためにやり直す

午前中は近所の公園で娘と遊ぶ。セミの抜け殻を見つけたが、怖いのか50cmくらい後ずさっていた(先日は、カナブンの死骸を触ったり、セミの抜け殻を破壊したりしていたらしいのだが)。

公園の中に人工の細い川と池があり、子どもたちが遊んでいたので混ざったが、娘が喜びすぎて怖い。手足口病らしく、足が赤く腫れてきたのでえびぞりして泣き叫ぶのを連れ帰ったが、次来るときは水着で来ないと、紙オムツがパンパン。ゴムまりのようになっていた(笑)

娘の昼寝の隙にメールを読み書きしたり、国際会議の原稿を添削したり。北京に出張している間に iPad が壊れてしまったせいか、メールの処理が全然追いつかない。早く新しい iPad を手配せねば。

「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」いわゆる「ビリギャル」を読んでみた。

表紙の金髪の女子学生は実は本人ではなく、かつ本人は金髪でもなんでもなかった、という話とか、実は中学受験で最難関のお嬢様学校に通っていて、学内の成績が悪かっただけだとか、合格して最終的に進学したのは慶応の総合政策(受験科目は英語と小論文のみ)とか、いろいろ目にしており、印象操作っぽいなぁ、と思ったが、期待値が低い状態で読んでみたら、意外と普通の本(上記のことはちゃんと本文に書かれている)で、むしろ好印象。

結局子どもにとってもっとも問題なのは家庭内不和で、別に荒れたいわけではないのに家に居場所がなくて付き合いたくない友人と付き合ったり、家にいたくてもいられないので出かけたり、とかするのかなと思う。

また、中学受験のときに勉強の基礎(型)を身に付けている生徒は、短期間でも集中してやることで、それなりの実力に達する、ということかな(「ビリギャル」主人公は、最終的に進学した慶応SFCで必要な教科は英語だけだが、一応英語だけではなく日本史も勉強している)。勉強をやり直したい大人のための大学受験のすすめでも、自分の理解できるところまで戻って勉強をする、という話が書かれているが、「勉強に王道なし」、一つも飛ばさず分かるところから地道にやれば、時間はかかるかもしれないが、積み重ねていけるものだと思っている(ただし、人間は忘却する生き物でもあるから、学ぶ速度が忘却する速度を上回ると、先に進めなくなるが)。

あと、この「ビリギャル」映画版の主人公を演じていた有村架純、「あまちゃん」で見てからファンである。ファンだからといって出演する映画を見るほどでもないが、先日地上波で放映されていたドラマは見た。最近本を読んでも映画やドラマを見ても、娘が将来どうなるか、ということを考えてしまうので、子どもが生まれる前と生まれた後で世界が違うなぁ、と思ったりする。