質問の背後に潜む真の意図

朝に起きられなくなってきた(保育園の準備には間に合うのだが、自分の仕事時間的な意味で)。どうも保育園の送り迎えのとき自転車を使っているせいではないかと思うのだが、これくらいで疲労感が出てくるとは、どんだけ運動不足なのかと……。しかし Apple にいたときも Microsoft にいたときも、片道30分前後の自転車通勤で、1ヶ月もしたら慣れたので、今回も1ヶ月がいいところではないかと思う。

保育園に新しく保育者さんが入ってきたのだが、それぞれ東京海洋大東京農業大の出身だそうで、両方とも生命科学系。うちの大学(コース)も他人事ではないが、やりたいことと大学で学ぶことにミスマッチがあるのかなぁ。高校生の段階で、将来につながる分野の選択をする、ということに、そもそも無理があるように思うのだが……。

午前中は在学生(学部2-3年生)のガイダンス。お昼に学生に集まってもらい、研究室の模様替えをする。人数が若干多く、椅子と机が来るのが7-8月になるので、それまでのつなぎのためにレイアウトを変更したのである。かなり開放感のある感じになったし、研究室内でもなんとか研究会ができるかな?という気になるのだが、やっぱりパーティションがほしい。120cmくらいで、座ったら目線が隠れ、立ったら見える、というくらいのパーティションがちょうどいいと思うのだが(とりあえず全員にディスプレイを支給しているので、画面を見ている限りは視線は隠れる)。

午後は在学生ガイダンスの続き(学部4年生と大学院2年生)。基本的に全員出席のはずだが、うちの研究室の M2 は6人中3人しか来ていない(汗)まあ、大学院2年生のガイダンスに関しては、コース(学域、という名前だが)によってはそもそも開催しないコースすらあるそうで、うちのコースもあっという間に終わる。自分が今年度から大学院教務委員なので、必要なことは自分が連絡すればいいし、こんなのに出ている暇があったら研究しなさい、と言いたいところで、研究しているなら何も言うことはないけど……。

夕方の教授会の前に5月の NL 研に向けた研究の相談。他人に厳しく自分に甘い、という心構えで論文を書くと、査読に耐えうる論文にはならないのだが、これを伝えるのは難しい。性格的なものは強制するものでもないし。どのように批判的に読んでも曲解しようがない、というように書くのがベストなのだが、自分に厳しくならないと、ツッコミどころを塞ぐことができないのである。

あと、研究で使用する用語について、オレオレ用語ならまだましだが、一般用語を普通と違う意味なのに定義もせずに使うと、筆者の心を読むスペシャリストでないと、理解不能になる。研究室内の進捗報告でもよく「これの定義は何?」と聞いているのだが、なんで聞いているのか分からないのだろう。かくいう自分も、松本研にいたとき先生方から「これの定義は何?」と聞かれて「これこれこうです」と答え「なんでこんなこと質問するんだろう」と思っていたものだが、いまになって考えてみると、本当に定義が不明なときもあっただろうが、往々にして議論の前提がおかしい(=その分野の研究者が考えるように考えていない)ことに気づかせてくれる質問だったのではないかな、と振り返る。

教授会では新任教職員の方々の紹介など。終わったらすぐ帰宅の準備。1週間のうちまだ3日間しか送り迎えをしていないが、毎日17時前に大学を出るというのは結婚してからこれまで(そうしてほしいとずっと言われてはいたが)ついぞ達成できなかったことなので、娘が生まれないとできなかったのだなぁ、とちょっと反省。