習うより慣れろとは言うが

午前中は実験運営委員会。学部2-3年生の実験の成績を審議したり、今年度の反省や来年度の改善案を議論したり。

首都大に来る前、そして1年目は、学生がどういう感じか分からず、ああでもないこうでもない、とやきもきしたのだが、2年目が終わろうとしていて、ようやく教員としての感触がつかめてきた。一言で言うと、着任前後に(他大学も含め)先輩教員の方々がおっしゃっていた通り、ということに尽きるのだが、やってみるまでは分からないことだらけだったなぁ。

この2年間、教員として他の方々から事前に言われていて、確かにその通り、と改めて思ったこと3つは以下である。

  • 授業をがんばると優秀な学生が興味を持ってくれる
  • 成績と研究能力は比例する
  • できる学生よりできない学生が悩ましい

1つ目について。これまで大学院生時代と助教時代を合わせて論文ばかり書いていて、講義や演習をしていなかったので、授業の感覚がなかなかつかめなかった。しかし、娘が生まれてからというもの、なんとか時間をやりくりして毎週の授業をこなすスキルが向上し、それとあいまって授業に力を入れるかどうかで学生のやる気も変わってくるのかな、ということが分かってきた。1年目は一つ一つの授業にとんでもない時間をかけて準備していて、それはそれで意義もあったのだが、そのような働き方は持続できるものではない一方、準備にかける時間が減ると学生の満足度・理解度も減るのかなと思い、悩ましい。授業をすることに慣れて、準備の時間が減るのであればよいのだが……。

2つ目について。首都大に着任前は、研究は勉強と違って答えが必ずあるわけでもないし、インプットする能力とアウトプットする能力は異なるので、科目の成績が研究能力に直結するとは思っていなかった。しかし、2年間コース全体の研究室の様子を見たり、授業で教えたりして、科目の成績と研究能力の間には強い正の相関がある、ということが分かった。そんなの当たり前じゃないか、と言う人もいるだろうが、少なくとも自分にとっては自明ではなかったのである。自分自身は中高大、そして大学院でも特に成績がよかったわけでもないので、関係ないと信じたかったのかもしれない。

3つ目について。研究室ができた直後なので、ものすごく優秀な学生が来ても先輩もいなければ計算機も不十分なので面倒を見切れないと思い、大学院の受験希望者にもよく他大学を勧めたり、研究室配属でも他研究室を推薦したりすることもあった。しかし、B1から大学院生まで、他研究室の学生も含めて全学年を通じて見てきた印象として、優秀な学生は環境によらず勝手にどんどん進めるし、聞きたいことは自分から積極的に質問に来てくれたりするので、全然気にすることはない、ということが分かった。むしろ問題はそうでない学生で、授業がないとなにも勉強しなかったり、詰まっても質問に来ないので全然理解しないまま半年経って終了、ということが往々にしてある。

1年目より2年目が、2年目より3年目が明らかに慣れてきているが、逆に言うとそれまでの常識を覆すようなことがどんどんできなくなってきているので、善し悪しである。まずは研究的に新しいネタに取り組むのが研究室としてやるべきことだと思うので、なんとか最初の3年でそこに辿り着きたい。(学生の引き継ぎもなにもなく、着任直後から新しい大学の学生だけで研究成果を挙げられる研究室は、心底すごいと思う。)

午後はコース幹事の仕事をいくつか。研究室配属のデータをまとめたりしていたが、今年はどうも就職希望の学生が多く(1/3)、かつ進学希望の学生(残り2/3)の中でも研究重視の研究室の人気がどこも低調だった模様(就職希望の学生はそもそも研究重視の研究室は選ばない)。就職希望の学生が、できるだけ研究しなくてよい研究室を選択する、というのは分からなくもないが……。

夕方は南大沢へ。最後の授業のつもりだったが、すでに帰国する学生がいたため出席を必須としなかったところ、誰も来なかったので(そもそも6人中3人が帰国していて、残りの3人も国内旅行に出かけたりするので休みます、と連絡はもらっていた)、提出してもらった試験の採点と評価をしたりする。人数が少ないので楽だが、南大沢の授業なせいかなんなのか、一人一人の成績を映画のチケットのような切り離せる紙に書いて(一つずつ印鑑を2箇所に押して)提出するというアナログっぷりでびっくりする。ウェブで入力できなくてもよいから、せめて Excel かなにかで提出できるようにならないのだろうか。