30年前の記憶をたどる

朝から教会に行く。自分が幼稚園から中学に入るまで通っていた教会が、建て替えのために今年で取り壊されるそうで、なくなってしまう前に娘を連れて一度見に来たのである。

子どものころは、田無駅まで行って駅からバスでひばりヶ丘に行き、西武池袋線で最寄り駅まで行き、そこから歩いたり、少し大きくなってからは田無駅から西武新宿線で最寄り駅まで行き(池袋線の最寄り駅よりも、歩く時間が長い)、そこから歩いたりしていた記憶があるのだが、どちらも1時間かかっていたように思う。今思うと、子ども4人を毎週片道1時間かかる場所に行かせるというのは、相当大変だったのではなかろうか。

今日は車で行ったところ、30分とかからずに到着。Google Maps で見ると10kmとあったから、遠くないとは思っていたが、こんなに近かったとは……。教会の周りの景色をあまり覚えていなかったのと、あと子どものころは徒歩で一方通行のところでも入れたのに、車だと大回りしないといけなかったりしたが、予想より大幅に早く着いた。

子どものころ、礼拝の前の時間に聖書のメッセージを聞いていた教会学校があったプレハブは、取り壊されて駐車場になっていた。いまは隣接する牧師ご夫妻のお宅で開かれているらしい。

自分たちはというと、教会の2階が昔と変わらず母子室になっているので、そこで礼拝に参加させてもらうことに。自分もこどものころは、よくここで兄と2人で日曜日の午前中の2時間弱を過ごしていたと思う(下で大人に混じって参加していたこともある)。その時間、何をしていたのかは全く思い出せない。寝てはいなかったので、起きていたはずだが、遊んでいた記憶もない(騒いではいけない)し、聖書を読んでいた記憶もない(小学生には聖書は難しいし、大人が話すメッセージもチンプンカンプンでおもしろくない)し、弟たちが側にいたのかさえ、思い出せない。30年近く前だから仕方ないが、年間50回を6年以上通っていたので、300回は来ている場所のはずなのだが、ここまで思い出せないものだろうか。

逆に、部屋の間取りは不思議なくらいよく覚えているもので、ものすごく懐かしい。ただ、サイズが自分の感覚からすると異様に狭い。それもそのはず、自分自身が1.5倍の大きさになっているせいでもあるが、部屋が1/2くらいの広さに感じる。こんなスペースで、自分はいったい何をしていたのだろう……?

礼拝の始まる時間になる。娘も落ち着いているので、寝たり泣いたりするまでは下でもいいかな、と思って1階で参加させてもらう。賛美歌を聞いていると、子どものころはそうは思わなかったが、心が落ち着く。また、牧師の先生のメッセージも聞いて分かるようになり、ああ、こんな話を毎週聞いていたんだなぁ、としんみりする。大人になってから能動的に教会に来るのと、子どものころから強制的に通うのでは、感じ方がこんなにも違うものかとびっくりする。(教会も、まだ両親が毎週通っているから来てみたけど、両親が通っていなかったら、取り壊されることすら知らなかっただろう)

自分自身、強制されるのが嫌な性格なので、大学でもあまり強制力を働かせたくないと思っているのだが、振り返ってみると、自分の基礎となる部分の3割くらいは義務的に毎週教会に通っていて形作られたものだな、と感じるし、これはこれでよかったな、と思う。

さ来週からは近くの柔道場を借りて礼拝を行うので、駐車場が使えないそうだが、新しい建物になったら、またときどき来てもいいなー。