小粒でもピリリと辛い大学論

諸星裕(元ミネソタ州立大学秋田校学長・現桜美林大教授)・鈴木典比古(前ICU学長・現国際教養大学学長)の「弱肉強食の大学論」を読む。

タイトルとは裏腹に、ICUとか国際教養大のような小さくても特色ある大学をどのような考え方で作っていったか、というようなお話である。

首都大も、日野キャンパスは小さな規模だし、ほぼ単科大学状態だし、繁華街からも離れているので、みっちり勉強する大学にすればいいと思うのだが、難しいのかなぁ。南大沢キャンパスのほうが環境はよいと思うが、学生数が多いし、1-2年生がいるので、あまり勉強する雰囲気ではないように感じる。

あと、ICUや国際教養大は「うまく行った大学を調べたらこうだった」というのは正しいと思うが、同じようにしてもうまく行くわけではないだろうし、国際教養学部的なものを他の大学が作っても、20年後には残ってないように思う。もちろんICUや国際教養大も20年後にどうなっているか分からないが、この2つの大学は「国際」に意味があるのではなく「教養」に意味があるので、「国際」ブームが過ぎても生き残るであろう。

また、日本で「国際的な教育」というとどうしても日本人学生が海外(特に英語圏)に行くイメージが強いが、本来これは双方向で、海外の留学生が日本に来るのも国際的な教育なのに、そうしようと動いている大学(学部)が少ない、という指摘には、考えさせられる。受け入れ体制が整っていない、というのが一番の理由だろうが、始めないと整うものも整わないので、やる気のある人が中心になって、体制が整っていなくても整備していこう、という人たちでスタートするしかないのではないかな。そして、大きな組織では合意を取り付けるのが難しいので、小さな大学しかできない、と……。

そう考えると「弱肉強食」というより、気候の大変動で恐竜が全滅し、小さな哺乳類の一部がかろうじて生き残ったのと同じで、ちょうど少子化という大変動でどんどん大学が絶滅している過程の入口なのであって、重厚長大だから生き残れるというわけではなく(突然死んだりしない程度)、時代の変化に合わせて自分を変えられるくらい賢くないと生き残れない、ということなんではなかろうか。