肩書きではなく実力で仕事する

実家に用事があったので、散歩がてら歩いて向かう。手みやげにフルーツをもらったりする。いつも家にいるとき出てくるフルーツよりだいぶ高級なような? 気遣ってくれているのだろうか……。

そのまま田無に歩いていき、墨花居という中華料理屋さんでランチ。おいしくてボリュームもあり、満足。来月になったら食べに来たりできなくなるだろうし……。最近は暖かいので床暖房も切っているのだが、ちょうどいい季節である。

本屋で購入した、中野雅至「ニートだった私がキャリア官僚から大学教授になった人生戦略」を読む。

前著の「1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側」はおもしろかったのだが、今回のは外れ。
1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)

1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)

この本自身は学歴ロンダリングと職歴ロンダリングの HowTo 本のようで、そういうのが知りたい人にはいいのかもしれないが(ただ、もしそれを知りたいなら前著の方をお勧めするが)、特にいただけないと思うのは、兵庫県立大の教授から神戸学院大の教授になったのを「職歴ロンダリング」と読んでいるところ。著者によると

 私はニート、市役所職員、厚労省キャリア官僚、公立大学助教授(教授)と転身しながらも、結局は公務員として「税金で食っている」と指摘されることに、ほとほと嫌気がさしていました。そこで私立大学への職歴ロンダリングを実行したわけです。私は公務員の身分保障にはまったく興味がありませんでしたので、公務員批判のほうが身に辛かったのです。(p.15)

これは自分の経歴をなんでも「ロンダリング」と呼びたいがための牽強付会ではないかと思うのだが(学歴ロンダリングと言っても、別に同志社は悪い大学じゃないのでは?)、前にいた組織のことをなんでも悪く言うのがいいというものではない。特に、このように前の職場自身に不満があるわけでもないのに「ロンダリング」と言われると、そこにいる人もいい気はしないだろう。というか、そもそも公立大学は公務員ではなく(みなし公務員)、身分保障も公務員とは違う(公立学校共済)ので、公務員の身分保障に興味がなかったから「ロンダリング」した、というのはおかしな理屈である。

前著のあとがきで彼を採用してくれた兵庫県立大学の学長の気遣いなどに感銘を受けたのだが、採用直後に書いた本なので、その後事情が変わって出たくなったのかなぁ。