無意識の書き誤りから見えてくるもの

土日は家でゆっくりするに限る。最近は武蔵境に車で行くと疲れることが分かったので、もっぱら田無に歩いて行っている。田無は武蔵境や吉祥寺、三鷹のようなお洒落感はないが、ぼんやり散歩するにはちょうどよい。中央線沿線は親子連れでも育メンあるいは教育ママ風の必死な人が多いのだが、西武線沿線はもっと適当な人が多いので、楽なのである。そういえば、田無駅付近ではやたらジジババと遊んでいる子どもが多いし、子連れでも両親と一緒ではなく片方の親だけという場合も少なくない。そういう土地柄なのだろうか?

4月の誕生日祝いに親から「ご夫婦でランチでもどうぞ」とお小遣いをもらったので(もはや自分が子どもにお小遣いをあげないといけない年齢であるが……)、スマイルズというハンバーグ屋さんで食べる。平日は空いているらしいが、土曜日だったのでそこそこ混んでいてカウンター席。ここのハンバーグはおいしい! そもそも田無でご飯を食べたこと自体ほとんどなかったのだが、開拓してもいいかもしれない。田無の問題点は、ほとんどの(よい)お店が路地裏にあるので、存在を知らないと行けないところだけど……。

家に帰ってきて「日本語の考古学」を読んだりする。

日本語の考古学 (岩波新書)

日本語の考古学 (岩波新書)

古文の著者推定や校訂の作業について丁寧に書かれている本で、勉強になった。国語研の [twitter:@togiso] さんに「統計的日本語史プロジェクト」に加えてもらって、自然言語処理を用いた古文の解析の研究をしていたが、ときどきお伺いする日本語史の研究について、こういうことをしていたのだなと。自分も中学(武蔵中高)の1年生から2年生にかけての授業で延々変体仮名を読んだり江戸時代のローマ字で書かれた文書を読んだりしたので、それを思い出して懐かしかった。そもそもどこからどこまでが文字かを認識するのが初学者には難しい、と書かれていて、まさにそうだったし……(筆で書かれていて文字がつながっているし、一つの音に複数の文字が対応しうるので、アラビア文字を読んでいるようなものである)。

個人的に興味深かったのは第8章の、なぜ「書き間違えた」のか、という章で、書き間違い(写本するときの写し間違い)を分析することで、音韻の変化や元々書かれていた内容の推測ができる、というのはおもしろい。偶然入ってしまう誤りにこそ、筆者の無意識的な認知が反映され、そのような揺らぎをもった「正し」くないテキストに自分は惹かれるのかなと思ったりする。(ただし、このような分析をするためには、それなりの量のテキストがないといけないのが泣き所)