教える側になって分かる勉強の意味

朝、病院に寄ってから出勤。週1回ペースである。

午前中は学生の相談。別の研究室に配属になったが、うちの勉強会にも出たいということで、全く問題ないのでどうぞ、と伝える。4年生で研究室は分かれるけど、隣接分野の研究室がいくつもあり、基礎知識はだいぶ共通しているし、3年生までの授業でカバーできているわけでもない(該当する授業がないこともあれば、存在しても履修していないこともある)ので、今年度からは研究室内の勉強会で補っているのである。

4年生にもなると単位はどうでもいいので、首都大の情報系の学部を出たらこれくらいのことは最低知識がある、という状態を保証できるようになりたい。あるいは、うちの研究室の修士であれば、最低限これくらいのことはできるようになっている、という感じ。

昼はメール処理と明日の授業の準備。2年目なので毎週徹夜するほどではないが、やっぱり毎週数時間は確保しておかないとダメだな……。

午後は南大沢に行き、今年度からはスタートする学部2年生の「オートマトンと言語理論」のガイダンス。本当は今年度から自分が立ち上げることになっていたのだが、諸事情があって他の先生に相談したところ、今年は半分分担していただける(来年から自分が全部やる)ことになったのである。首都大の先生は全員学生に優しいとは思っていたが、みなさん同僚の教員にも優しく、いい職場だなぁ、と心から思う。

授業後に飛び級とか副専攻とかに関する質問を受ける。制度としていろいろ用意するのはいいのだけど、制度は制度に過ぎないので、飛び級できないとやれないことってないと思うし、副専攻がないとできないこともないと思うし、空いた時間は自分で好きに使ったり、授業は単位なんか気にせず勝手に好きなのに出ればいいんじゃないかな? かくいう自分自身、学部1-2年生のころは、飛び級制度が使えないかとか、副専攻システムがなんでないのかとか先生方に要望を出し、今の自分と全く同じ意見を返された(誰かに認めてもらうのが勉強ではなく、自分で勝手にやるのが勉強なので、認めてもらわなくてもやればいい)ので、あとにならないと分からないことだとは思うが……。

ちなみに飛び級に関しては、1年分他の人より早く課程を終えられると思うなら、その時間を使って他のことに挑戦したほうがよいんじゃなかろうか? 1年分授業料が発生するので、合計の授業料を安くあげるために飛び級する、という動機であれば否定はしないが、卒論は書いた方がいいんじゃないかな?