メディアの使命と研究者の役割

朝から研究費の申請書を書く。とりあえず埋まるところ (業績一覧とか) からひたすら埋めるのは論文書きと同じである。全部埋まったところが出発点で、そこから何回も見直してクオリティを上げていく、という感じ。しかし、最初の4ページ、まだ半分ちょいしか埋まっていない……。

午前中、COLING というインドで開催される国際会議の結果が PDF で公開されているらしいと聞いて見に行くが、タイトルも出ていなくて、投稿番号と結果しか書いていないので、何がなんだか分からない。普通はウェブページで公開する前に、メールで査読結果 (コメントと評点) と採択・不採択が送られてくるのだが、今回はメールが来ないで直接番号だけが公開されているので意味が分からない。今回通った人は喜んでいいと思うが、通らなかった人も今回だめだったのは野犬に噛まれたと思って次の国際会議に出したほうがいいと思う。今回は査読プロセスもグダグダだったし、なんか変。

今回松本研からは4本 (フルペーパー2、ショートペーパー2) 投稿があり、フルペーパー1 (口頭発表)、ショートペーパー1 (ポスター発表) が通っていたようだ。共著の論文が2本以上通っていたら行くつもりだったので、行くことを前向きに考えようと思う。

ポスター発表といえば、iPS 細胞の臨床応用に関して読売新聞が一面トップ記事で誤報した件に関して、森口氏の「研究成果」多くが簡易論文と読売新聞が続報していたが、

 学会の発表には、自分の研究を紹介するポスターを用意された掲示板に貼る「ポスター発表」と、演壇から聴衆に向かって研究成果をスライドを使いな がら説明する「口頭発表」がある。一般にポスター発表は、口頭発表のレベルに達する前の段階で行われることが多いが、いずれも発表したと認められる。研究 者はふつう、優れた研究成果だとの評価を得るため、有力な科学誌の正規論文としての掲載や、国際的な学会での口頭発表を目指す。森口氏の発表方法は、専門 家の厳しい目にさらされることなく発表の実績だけを残すものだったといえる。
(2012年10月14日09時05分  読売新聞)

などと書かれていて、ポスター発表は口頭発表より劣っているという印象を与え、自分たちではなく森口氏が姑息なことをしていると言いたいような書き方。確かに分野によってはそうなのだろうが、情報系では査読付き国際会議は論文誌と同程度の評価をされるものもあるし、自然言語処理に限っていえばポスター発表と口頭発表はクオリティの差ではないと明言されている国際会議もあるし (抄録でも区別されない)、分野によって発表形式に対する評価が異なることが分かるように書いてほしいものである。

あと、簡易論文って言葉というエントリで知ったのだが、

森口氏は、色々な学術雑誌の「Correspondence欄」への投稿を行なっていました。この投稿内容は、たしかに科学論文文献データベース (Pubmed)などに登録されています。ただ、これらのCorrespondence欄への投稿を「簡易論文」(こういう表現自体使うことはないと思う のですが)というのは違和感があります。
(中略)
 Correspondence欄は、「雑誌に掲載された他者の論文・研究についての意見表明の場」です。「研究者の情報交換のためのお手紙投稿欄」 という感じでしょうか。Correspondence欄に取り上げられるのは、基本的には論文ではなく単なる意見です。Correspondence欄の 文章みて、「ほう、こういう考えもあるのか」という思いをすることはありますが、「じゃぁ実際その考えが正しいのか」というのは、別の論文で確認する必要 があります。そういう点で、この手の文章を「簡易論文」と書くのは不適当だな、と思います。 
研究やってるヒトが、何の先入 観もなく「簡易論文」ときくと、短報(Short communication, Brief communication)、速報(Rapid communication) のようなものを思い浮かべると思います。これらは、通常の論文(Full paper)にくらべ、データ数は短くコンパクトにまとまっていますが、実験目的、方法、結果、考察とい要素はすべて含まれている立派な論文です。短報や 速報が存在するのは、必要最小限の内容で迅速に結果を世の中に発表したい、などのニーズがあるからです。 

だそうであり、むしろこちらのほうが問題なのではないかという気もする。(自分自身、「簡易論文」と聞いたら速報的なものを想像したので) 

新聞のようなマスメディアは非専門家に専門的な内容を噛み砕いて分かりやすく伝える使命があるので、多少の正確性を犠牲に分かりやすくする必要悪はあると思うが、そもそもそういう言い換えが許されるのは記者が正しく (読者に代わって) 理解して噛み砕いてくれるという前提があるからであり、そもそも記者が誤解して「言い換え」ているのだとすると、下駄を預けることができなくなってしまうので、大問題。日経新聞朝日新聞は、掲載前に裏を取ってあやしいと思ったので掲載を見送ったらしいが、森口氏の言うままに掲載した読売新聞と共同通信は、取材能力は大丈夫なんだろうか。両方ちゃんと科学部を持っているはずなので、科学部のチェックをすり抜けるようなシステム上の問題があったのか、あるいはそもそも科学部のレベルが低下していて機能していなかったのか、どちらなのか分からないが、それにしても時間をかけてチェックできるだろう続報で上記引用のような記事を書いてしまうというのは、相当危機的な状況にあるのではないかと思った。