それまでの自分を全部捨てても大丈夫と思えばふっ切れた

昨日帰ってきた時間が遅かったので、昼ごろ起きる。いつも通りの時間に行動しないと効率が悪い。

午後、妻を京都まで送る。道路がどれくらい混むのか読めなかったが、20分ほどで到着。むしろ帰りが大変で、京都駅周辺が混雑していて30分くらいかかる。電車だと10分ちょいなので、電車で行った方が速かった。自転車でも京都駅まですぐだと思っていたのだが、この様子だと40分はかかるだろうし、すぐというほどではないかな……。

夕方は高の原へ。自宅周辺は駐車場代がかかる (1日1,000円) ので、月極めで借りている駐車場に置きにきたのだが、往復2時間かかるので、置きにくるだけで帰るのは微妙な感じ……。かといって研究室に行くと来週乗り切れなさそうなので、本屋に寄って帰る。

紹介が遅れてしまったが、英語化の弊害という文章が非常によい。

ソフトウェアの日本語化の経験はある。ソフトウェアの国際化、それがいったいどのようなものか、言語化はされていなかったが、その経験もまがりなりにある。コンピュータによる文字コードの知識もあるし、日本工業規格を作る委員会にいた経験もある。履歴書的には見栄えのする経歴も持っている。
だけど、その程度のことでこのシリコンバレーで生きていけるのか。ビビりまくっていた。
(中略)
精一杯肩肘張っている自分がいる。今だから言える。泣きながらスペックを書いていて、議論して、全然通じなくて、なんでこんなところに来ちゃったんだろうと思って、だけど、自分が選んだ道なんだから。と歯を食いしばっていた自分がいる。

自分も最初シドニー大学に学部生のとき交換留学で行った直後はこんな感じだった。英語も喋ることはおろか大学の外では聞き取ることも難しかったし (幸いながら教室の英語は聞き取れる) 全然通じなくて本当に苦しかった。そこでそれまでやってきたことは全部捨ててもいい、ここからゼロベースで人生をやり直そう、自分のことを知っている人は誰もいないし、それまでやってきた肩書や学歴なんて誰も分からないから、いまいる自分をそのまま見てもらおう、と思ったのが、自分にとっての転機だったと思う。

楽天では英語化が進められているとは聞くが、けっきょくはこういう経験が重要であって、なかなか日本で日本人同士でやっても難しいんじゃないかなぁ。