間引かなくても植物は育つんだよ

写真は先日住んでいる団地に貼られていた紙。さすがに猿が3匹も出るところに住んでいたとは思わず、びっくり。だいぶ都会のつもりだったが、住まいの周辺は緑がいっぱいあるせいかな。

お昼ごろ、受験生が訪ねてきてくれたので、少しお話。でも、やっぱり在学生と直接話すほうがいいと思う。自分自身、受験を迷っていたとき、オープンキャンパスに来て学生と話して決心したので (というか松本先生とは数分しか話さなかったような記憶があるが)、機会があれば在学生と直接話してほしいと思う。学生にとってよい環境かどうかは、教員に聞いても分からないだろうし。(もはや自分自身、段々学生であったころの感覚を忘れてきてしまっている)

午後は研究の打ち合わせ。実際にサービスを回してらっしゃる方のお話は大変参考になる。今年度は忙しくて週末に仕事で外出しにくかったが、9月になってだいぶ余裕が出てきたので、次回は関西MT勉強会に参加してみたいな。

夕方には査読を片付ける。査読の仕方についてやはり2つのスタイルがあり、採択の論文にしっかりコメントし、不採択の論文はほとんどコメントを書かない、というスタイルと、その逆とあるのだが、先日前者のスタイルの人から「どのみち落とす論文にはできるだけエネルギーをかけたくない」という意見を聞き、うーん、それも一理ある、と考え込む。

明らかに添削されていない学生の論文と思われるものを査読すると、「学生の研究指導を外部に委託しないでほしい」と苦情を言いたくなる気持ちも分かるが、共著者に誰も指導してくれる人がいない環境にいたら、査読のコメントしか自分の研究能力を向上させる機会がないかもしれないので、あまり無碍にはできないのである。「そんな環境に行った学生が悪いのだ」「面倒を見ない教員に責任がある」などとは言えるが、責任の所在がどうであれ、書き方を身につけるべき (身につけたい) 人が身につけられないのは不幸なことだと思うし……。研究能力のある一部の人にエネルギーを注ぐべきで、それ以外の人にはできるだけエネルギーをかけない、というのは、今の自分には葛藤がある、というか、ちょっと無理。むしろ、研究能力のある人は勝手に自分でやってくれればいいので、なにかしら伸ばすべき課題がある人に付き合うほうが、自分の性に合っているかな。

しかしこれだといくら時間があっても足りないというのも正しく、どうすればいいんだろう、と悩む毎日である。(どっちがよいという類の問題ではないので、教員をしている限り悩み続けるのであろう)

予備校生のとき、友人が「間引かなくても植物は育つんだよ。間引くのは人間の都合だよ。」と言っていたのを思い出した。