20年前の思い出は夢の中へ

5時に起きて始発の新幹線で東京へ。コーパス日本語学ワークショップの2日目である。なかなかいろんな分野の人と交流する機会がないので、このワークショップは毎回参加させてもらっているのだが、今回は初日から参加しようとすると相当なハードスケジュールになってしまいそうだったので、2日目だけにしたのである。

今回は口頭発表が数件、残りはポスター発表だったのだが、国語研の方にお伺いすると、基本的に日本語学関係でポスター発表が導入されたのはここ数年で、以前ポスター形式のような発表があってもほとんど国語研の人たちばかりで、基本は口頭発表だったそうだ。確かに自分も人文系にいたのでその雰囲気は分かるが、基本的には用意したレジュメ (あるいは予稿集) を読み上げるというスタイルが伝統であり、予稿に書いていないことを発表すると聴衆から「いま話されたそれは予稿のどこに書いてあるのですか」と言われたりするくらいである。自分としては、予稿に書いていない、あるいは書けないことでも話せたりするほうが議論が深まっていいのではないかな、と思うし、ポスター形式だと勢い聴衆とのやり取りをしないといけないし、用意した台本通りに行かないので、議論目的であればポスター形式でやるというのはよいことだと思う。

昼は[twitter:@togiso]さんのお部屋でお食事。松本先生の昔話を聞いたりする。松本先生から「COLINGには行く?」と聞かれたので「投稿した4本中、通ったのが1本以下なら松本先生にお譲りします」と言うと、「そんなあほな」という反応だったのだが、これは誰が引率するか問題があるのだろうか。もし1人だけだったら、学生だけで行く、というのも選択肢としてはありうるかなぁ? (博士の学生はともかく、修士の学生はあまり1人で海外には行かせないようだが……)

夕方は古文のアノテーション作業を実際にやっている場所を見せていただく。ゼミ室程度の大きさの部屋に、アルバイトの方など8人くらいが黙々とタグ付けしてらっしゃるのだが、自分も国語研でコーパス作成補助のアルバイトをしていたので、とても懐かしい。言語処理の人からすると「古文ってテキストの分量は有限だし、解析する意味があるの?」という反応をもらうことが少なくないのだが、思った以上に大変な仕事である。そもそも文境界すら一見分からないし……。

夜、たまたま okayama くんが国立にいるということで、ご飯を食べる。何年ぶりか分からないくらいだが、先輩を除くと、もはや誰も東大には残っていないのではないかな……。そもそも、相談員をしていたメンバーで、いまも大学で働いている人は思った以上に少ないので、懐かしい感じである。思えばあの場所が自分にとって一つのターニングポイントで、コンピュータを使うようになったことと、文献ではなく人を相手に仕事をするようになったこと、この2つは自分の人生に大きな影響を与えた。そういえば、上記の国語研でのアルバイトも相談員のツテで紹介していただいたものなので、そういう意味でも相談員になっていなければ現在の自分はいないだろう。

武蔵境で降りてみたが、駅前からなにから変わり過ぎていて、自分がどこにいるのか一見わからない。確かにきれいになっていて住みやすそうだなとは思うのだが、記憶している街並みはもう夢の中でしか見ることができないのかもしれない。立川より西、日野や豊田のあたりくらいの感じが、ちょうど自分が育ったころの武蔵境〜田無の雰囲気に近いかなぁ。