文章が書けない自分と向き合う

梅雨入りしたせいか天気が優れないのだが、洗濯しなければならず、悶々とする。なかなか乾かない。

6月に入ってから毎週妻とマッサージに行くようになったのだが、確かに肩が開くようになってきたかも。以前から猫背だったからな〜。とりあえず7月中旬までかなぁ。

どなたかの Twitter 経由で なぜすぐに再投稿できないのか を知り、激しく頷きながら読む。論文誌の投稿は精神力との戦いで、いかに真摯に査読者のコメントに返答するか、だな〜。とりあえず今週は論文誌の査読を4本完了し、ひとまず手持ちの査読は全部終わらせる。とはいえ、来月〆切の査読がまた来るのだが……。

かくいう自分も論文の書き方が分かってきたなと思うのはほんの最近で、去年の夏くらいから「ああ、こう書けばいいのか」と思えてきたような感じ。これまではがむしゃらに書いて共著者の方々に直していただいて、さらに査読者の方々からも揉んでいただいて、なんとか出してきたのだが、自分が一転して査読をしたり添削をしたりするようになって、ようやく客観的に論文を見られるようになり (表に出る論文と、表に出る前の論文と両方見て)、どのあたりが境界なのか分かるようになった、ということかな。(書き方が分かったからといって、書けるかどうかはまた別問題なのだが……)

情報系はかなりの論文がウェブで (無料で) 公開されているので、読もうと思えばとんでもない分量の良質な論文を目にすることができるわけだが、基本的には表に出ている論文は「正例」だけで、通る前の「負例」を知らなければ、どのように書けばいいかよく分からないのではないかな、と思うのである (世の中には正例だけから学習できる人もいるだろうけど)。かといって、箸にも棒にもかからないような論文を大量に見ても意味がなく、ちょうど落ちるか通るかぎりぎりの論文を見たり、あるいは通る前の論文から通る水準に引き上げるところまで段階的に見たり、といった積み重ねが効いているのであろう。

とはいえこういうのは岡目八目で、自分で書くとなるとまた書けない自分と向き合わないといけないのだが、やはり自分で何もないところから書くというのはしんどいものである……。