研究者人生で楽しい時期は一度しか来ない

住居が決まっているので久しぶりにのんびりした週末。3週間ぶりにコーヒーを入れてみたり。

午前中にアリさんマークの引越社が見積書を持ってきてもらうという話だったので、待つ間荷造り。マンガの多さに心が折れそう。一般書籍も500冊あったが、マンガもそれくらいあると思われる。マンガも裁断・スキャンしたいのだが、これはどう見ても引っ越しまでに終わらないので断念。

結局見積書を最終的に持ってきてくれたのは18時過ぎ。まあ、おかげで荷造りが多少捗ったけど……。なにが問題だったかというと、複写式の見積書なのだが、お客様控えを担当の方が持って帰って行き、自分のところに残っているのが本来向こうにないといけなかった書類だったという。自分もこういうミスやりそうだし、担当の方にちょっと同情。

404 Blog Not Found で紹介されていたハカセといふ生き物」を買って読んでみる。

研究者マンガ「ハカセといふ生物(いきもの)」

研究者マンガ「ハカセといふ生物(いきもの)」

4コママンガ自体は1話から80話までウェブで読めるのだが、全体の1/3くらいは書き下ろしということで期待していたのだが、書き下ろしの部分がそこまでおもしろくなかったので、微妙な感じ……(いや、書き下ろしでない部分は「あるある」などと楽しめるので、買って損をした、と言いたいわけではない) 自分自身大学にいるので、このマンガで描かれている大学の人たちは別にそんなに不審だと思わないのだが、一般の人から見るとこう見えるのかぁ、ということが分かって大変勉強になる。(いまでこそ我々夫婦もこういうことはあまりないが、最初はいろいろと行き違いもあった) むしろ自分は 書評マンガのほうが中身のよい紹介になっていると思ったり。

それより息抜きに買った森博嗣大学の話をしましょうか

がおもしろい。飄々とした QA もさることながら、ところどころに入っているコラムがそうだなぁ、と思わせる。たとえば「学ぶ理由」というコラムで

 仕事と手法が与えられたとき、それを的確に解決できるのが、学士。仕事を与えられたとき、手法を自分で模索し、方向を見定めながら問題を解決できるのが、修士。そして、そもそも、そのような問題を与えることができるのが博士である。社会の需要は量的にこのようなピラミッドになっていることだろう。(pp.67-68)

と書かれているが、以前博士で身につけるべき研究力とは穴埋め問題の作成能力にも書いたように、そういう問題を作成する能力が研究を遂行するためには必要だと思う。難しい問題はいくらでも作れるが、答えを聞いたとき「そんなの分かる訳がない」という問題は「悪問」で、逆に「そうか、発想を変えればそんなの当たり前じゃないか、悔しい」と思うような問題が「良問」で、いわば良問を作ることができる研究者が優れた研究者なのだろう、と (そして、そもそも問題を作ることができない人は、プロの研究者として生きて行くのは難しい)。

あと、これは森さんがすでに大学 (元名古屋大学工学部の助教授で、小説が売れるようになってしばらくして退職された) を退職されているから書けることかもしれないが、教授会でどのようなことを議論しているか、研究費を通すためにどのようなことをしているか、ということを一歩引いた目線で書いているのも参考になる (まあ、基本的には「馬鹿馬鹿しい」という話なのだが……)。名古屋大学に移られる前は三重大学で7年半助手をされていたそうだが、

……

 助教授になったのは、一九八九年なので、三十二歳でした。これは、たしかその当時では、工学部で一番若い助教授昇進だったと思います。僕は、実は助教授になることを望んでいたわけではありません。助手という立場に満足していました。ですから、自分から応募したわけではないのです。助教授になったときは、とてもストレスを感じました。嬉しくなかったのですね。妻にも昇進したことを半年ほど話さなかったくらいです。

Q それはどうしてですか? 会議が増えるからでしょうか?

A やはり、研究に没頭できなくなる、ということですね。だいたい、時間の割合でいくと、助手が研究に費やせる時間は九割くらいかと思います。ただ、これは理解のある教授の下にいる助手に限りますよ。それから、助教授は、そうですね、四割くらいは研究にかけられるかもしれません。教授になると、もう一割以下じゃないかな。それくらい雑用で忙しくなるのです。(pp.76-77)

ここの「助手」というのはいまでいう「助教」、「助教授」は「准教授」だと読み替えていただければよいかと思うが、助教でいるうちが一番研究に時間を費やすことができて、どんどんできなくなっていくのだなぁ、と思ったり。もっと言うと、助教でいるうちより博士の学生でいる間が一番自由に好きなことができた。長期間どこに行ってもよかったし、昼夜逆転してプログラムを作っていても何も問題ないし、勉強会を適当に立ち上げてもよかったし、いい時間を過ごしたものだなぁとしみじみ思う。いまも、雑用は確かに1割くらいで、8割近くは研究に費やせるので、恵まれた環境にいるのだなぁと感じる (もっとも、研究の中でも自分がプログラムや論文を書いたりする割合は学生のときと比べると遥かに低くなってしまったが……)。

この本の末尾にある、三重大学工学部時代の思い出を綴ったエッセイ「思い出は全部綺麗です」も、涙なしには読めないものである。NAIST助教授で来られた山中さんも、NAIST 時代を振り返るときの口調が、なにか愛おしい記憶を語るようで、少し聞くだけでこみ上げてくるものがあるのだが、博士号を取得してから40歳くらいまでの時期をどう過ごすか、というのは大事なのだなと思う。