就活も婚活も人生も不条理なことが多い

新年度、ということでいろいろと仕事。新しく着任される助教の方々が挨拶に来てくださったそうだが、うちお1人しか会えず。

1時半からスタッフ・学生みなさん総出で研究室の掃除。自分は少し配線を手伝い、計算機室で計算機の設定。来週研究室紹介があるので言語教育用のサーバを立ち上げておきたいのだが、一度配線を外してつなぎ変えたら立ち上がらなくなったのである。

LDAP の認証のところで止まるので、ネットワークの問題かと思ったりしたのだが、いろいろ調べてみたところ(結局直せたのは7時くらいまでかかったが……)、そもそも本体の電池が切れていて、一度コンセントから抜くと BIOS の情報が全部失われるため、HDD の認識される順番が変わってしまったせいであるようだ。

また、PATA 接続と SATA 接続の HDD が混在していて (というか PATA 750GB と SATA 750GB の HDD で RAID 0 されていたし……) 混迷を極めていたので、2TB の HDD に取り替えておく。

AAAI の査読はようやく一息。あとは CoNLL の査読をすれば査読シーズン一段落かな。毎回思うのだが、全くバックグラウンドが違う人たちが査読しているにも関わらず、ほとんどの場合みんなの評価スコアが同じような点数というのはびっくりする (自分自身の査読結果を登録すると、他の2人がその論文につけたスコアとコメントが読めるようになる)。ただ、コメントを読むとツッコミを入れるところは微妙に違っていたりして、気がつかないところを気がつく人もいたり、とても参考になる (自分の研究室の学生や学会・研究会で他の人の研究にコメントを入れるときとかと同じ)。

最近石田衣良の「シューカツ!」を読んでいたのだが (ちなみにことえりでは「就活」が変換できない……)、

シューカツ! (文春文庫)

シューカツ! (文春文庫)

自分も学部生のときはマスコミとか出版業界での就職を希望していて就職活動もしたので、それなりに楽しめた。Amazon のコメントにあるように人物描写が薄っぺらい感じは否めない(よく言えばかろやかでさらっと読める)が、大学までの試験は落ちたり赤点取ったりしても勉強できなかっただけだと思えるが、入社試験の面接で落とされると全人格を否定された気持ちになる、という話が書いてあって、なるほどな、と思った。

NAIST の入試も小論文と面接なので、「恣意的に採点されている可能性がある。落とされても受かっても納得できない。細かく評価基準を公開すべきだ」と言う受験生さんもいるのだが、NAIST の試験は大学入試のセンター試験のようなものではなく、入社試験と同じなんじゃないかなぁ、とこれを読んで思った。入社試験も確かに一般教養や論理的思考力がどれくらいあるかも測ったりするのだが、最後の最後は「社風に合うか」「正直・素直かどうか」「前向きかどうか」みたいな点がポイントで、受ける立場としては不条理だとは思うが、不条理のままでいいんじゃないかと思うのである。

「学科の試験がこれくらいできたら合格」「小論文はこういうものをこれくらい書けたら合格」という基準があったほうが対策はしやすいだろうが、それは「年収1000万以上の方なら結婚します」と言う人を相手に「婚活」するようなもので、NAISTはそれよりはもっと相手(受験生)のことを見て、ケースバイケースで判断すると思うし (※自分は入試プロセスに関わっていないので適当なことを言っているが)、「年収はいくらでもいい。わたしが気に入った人ならいい」という相手を選んで恋愛するプロセスに似ていて、自分的には NAIST のようなところのほうが基準を細かに公開して (主にペーパーベースの試験とかで) 選抜するよりよほど「人間的」だと思うんだけどな〜。

などとといいつつ、新年度始めたいと思っている共同研究の相談で大学の知財の方など研究室にお越しくださる (最初1人かと思ったらメールでは3人で行きますとあり、結局研究室には6人で来られたのでびっくり)。

押さえるべきポイントは押さえないといけないというのは当然で、そういう判断に迷うのでアドバイスくださるのは助かるが、やりたいことがあってそれを実現するためになんとかやれる方法を一緒に考えてくれる (NAIST はほとんどの場合そうしてくれるが) というよりは、やりたいことができない理由をいろいろ説明してくださるという形で、実現するためにはどのような持っていき方をすればいいいのかいまいち分からず。昨年度も研究所との共同研究をまとめるまでに半年くらいかかったと松本先生がおっしゃっていたが、納得。これはまた松本先生に相談しないとな〜。