ユーザが待っている研究は、ユーザのことがいちばん大事

午前中、メールを書いたりなど。申請していた研究費、ひとつ内定(250万)。助教になってから3連敗だったので、採択されて嬉しい。研究スタート支援が通っていたら出さなかっただろうが、落ちたからこそ他のところで拾ってもらえたのだなぁ。これでタグづけの作業者さんに来年度も継続してもらえる目処がついたので、よかったよかった。NAIST男女共同参画室のメンバーお2人も、最先端・次世代研究開発支援プログラムに採択されたそうで、厳しい環境でもくさらず前に進み続ける勇気をみんなからもらっている。こういう場所で研究させてもらえるのは、ありがたいことである。

午後、研究室の修士の人たちの修論発表x3。1コマで3人まで話せるので、同じコマに入っていてくれたら1.5時間で終わるのだが、なぜか今日は3コマに分散していて、結局4時間坐りっぱなしでひどい腰痛に……。

自分の研究室の人の発表が終わったら出て行く人も多く、自分はできるだけ1コマ全部出るようにしているのだが、ちょっと今日は2コマ出たあと「これは無理」と思ったので3コマ目だけ自分の研究室の人のときに聞きに行ったが、ちょうど前発表した人の質疑応答がいろいろとあって、研究室内での研究指導・教育について考えさせられた。

あと昨日の発表でインタラクティブメディア設計学講座の加藤先生が、修論の評価について「あなたの研究は自分の都合のよいシナリオで評価して既存手法よりよかったと言っているけど、こういうインタフェースの被験者実験では、普通自分に都合が悪いシナリオでもよかったと言うものだ。たとえば机の上に新聞が広がっているかもしれないし、そういう想定外のときにも自分たちのシステムが動くことを検証しないと意味がない。自分たちに有利な評価をしていてはユーザに使ってもらえるシステムを作ることなんてできない」というコメントをしていたのが印象的だった。

また、今日の発表で音情報処理学講座の鹿野先生が「難聴の人を対象にした研究は、明瞭性がいちばん大事だ。それ以外の評価尺度が上にくることはない。使う人がいる研究は、使う人のことを本気で考えないといけない。あなたのスライドの書き方では明瞭性は重要でないように見えるが、それだけであなたの研究は本気でないように思われる」ということをおっしゃっていた。あと、処理に1秒もかかるような手法はリアルタイム処理が必要な実環境では使い物にならず、そんな状態で「難聴の人のためです」なんて言ってはいけない、と。

つまり、研究にも基礎研究と応用研究があり、どちらが上でも下でもないが、使う人が待っている研究をしている、というなら、研究だから使う人のことを無視していい、ということにはならない、というコメント。厳しいコメントであるが、これも心に残った。自然言語処理の「研究」では割合こういうユーザビリティの評価はおざなりにされ、「精度」がどうか、ということが重視されるのであるが、使ってもらう人の立場に立つと、速度とか変な結果を出さないとか、そういうことが(時には「精度」より)重要だったりする。せっかく出口がある研究なのだから、そういう意識の研究もあっていいんじゃないかな、と思う。

今週末はちょっといろいろやるべきことがあるので、仕事を8時で切り上げてマッサージへ。今週は修論発表会(+練習)で毎日坐りっぱなしなことが多かったので、案の定「凝ってますね」と言われる。でもマッサージしてもらってだいぶ楽になった。次はまた2週間後にお願いしている。暖かくなるまで、今年度はだましだまし……