講演に対するいちばんの誉め言葉は「難しいけどおもしろい」

朝起きて京都中ロータリークラブの発表資料作り。聴衆の平均年齢61歳が40人前後、今年は「エコ」がテーマらしく、「エコ」に絡めてご自分の研究分野についてお話ください、という割と(情報系の人にとっては)無茶ぶりで、そもそもトークのご案内をいただいたのも3週間前だし、いろんな意味で突貫工事……。

ロータリー、自分も学部時代留学したくて奨学金に応募しようかと思ったのだが、なんだかいろいろ制約が強そうで応募せずじまいだった。今日お話を聞いたところ、日本から海外に行く学生でも、やりたいことが決まっていてちゃんと説明でき、英語がそこそこできる人なら、50%くらいの人は通る、とのこと。そう考えると割と取りやすい奨学金なのかもしれない。

で、一応「自然言語処理を応用した日本語学習支援」というテーマで30分話してくる。京都ホテルオークラというところで1時間、前半の30分はランチを食べながら各種報告を聞き、後半の30分が自分のトーク

トークに関しては、おもしろいと言ってくださった方々が何人かいらっしゃるのでほっとしたが、やっぱり内容はちょっと難しかったかなと反省。必ずしも難しいことは悪いことではないと思っているのだが、「検索エンジン」と言って通じない場合、そこから話を導入したら「ポカーン」となってしまうのだなぁ〜……。たくさん事例を入れたのだが、最初でトラックを外れてしまった1/5くらいの方々はロストしてしまわれたようだ。申し訳ない。

最近注意しているのは、単に「分かりやすい」というだけのトークにならないことに気をつける、ということ。「分かりやすい」というのは、料理で言えばハンバーグやソーセージのような歯ごたえがない料理を食べているようなもので、子どもや歯の悪い人にはよいのだろうが、大人はときどきはステーキのような歯ごたえのある肉を食べ、咀嚼する能力をつけたほうがよいと思うのである。

言い換えると、いちばんの誉め言葉は「分かりやすい」ではなく、「難しいけどおもしろい」という言葉であり、「おもしろいので、もっと知りたい」と思ってもらえるようなトークをすることなんだと思う。とはいえ、そう思っていてもなかなかうまく行かない。「もっともできない教師は口で言うだけ、次にできない教師は説明する、できる教師はやって見せる、もっともできる教師は学生の心に火をつける」というような言葉を最近どこかで読んだが、まさに最後の教師が理想的であって、どうやると聞いている人の心に火をつけることができるのか、最近ぼんやり考えている。

ときどき「この日記を見て自然言語処理に興味を持ちました」と言ってくれる人がいるのがとても嬉しいが、そういう状況を作っていくにはどうしたらいいか、と思っている。今後も自然言語処理の存在意義があるような、そういう世の中にしていくために行動したいなと思うのである。(やっぱりことばに自分は興味があるのだと思う)

研究室に戻ってきて修論に赤入れ(2人目)。他の人はどうなんだろう……。ま、なんとかなると思うけど。

横長のディスプレイを2つ使うと姿勢が悪くなって脊椎が痛くなるので、3日だけつないで全然使っていなかった1台を元の場所に戻す。大きなディスプレイが1つあれば、(少なくとも横長のディスプレイで)デュアルにする必要はないと思った。縦長を2つ並べるのは効果あるかもしれないが、元々端末エミュレータの窓を1つだけ開いてその中で全部完結する生活をしていたこともあるしな〜。とはいえ、ときどきラップトップをつないで使いたいとは思うことはあるかも (MacBook Air 11" の画面はやはり狭いので、出先ならまだしも研究室で使う時は大きな画面がよい)。