人生の「つよくてニューゲーム」

言語処理学会年次大会の原稿を添削したり書いたり。

相互添削型言語学習サイト Lang-8 で日本語学習者の添削を見ている(つまり添削の添削、メタ添削)のだが、いろいろと考えさせられるものがある。

どう添削するのが正しいのか、という問題になるのだが、論文を書くときだって(同じ言語で添削しているけど)正解が一つに決まるわけではないし、「こう書けばよい」というものがあるわけでもない。基本的には他の人がやっているのを見て盗むか、たくさん赤入れてもらって(そのうち適切なものも適切でないものも混じっているのだろうが)身につけるか、といったところか。

自分の昔を振り返って「ああ、いまの知識があったら人生もっと違う選択してたなぁ」と思うことはあるが、自分はだからといって昔に戻りたいとは思わないし、戻ったら逆につまらないだろう。

RPGに一度ストーリーを全部クリアしてから「つよくてニューゲーム」というモードが出現するゲームがあるのだが、それは「大筋のストーリーは知っているから、クリアしたときのレベル(強さ)で最初からゲームして、プレイ時間を節約したい(あるいは弱い敵を圧倒的な強さで蹴散らして爽快感を得たい)」というのがあるのだが、自分はああいうのは好きではないので、ゲームをするときも一度クリアするまでは攻略本(最近だと攻略Wiki)は見ないし、クリアした後プレイするにしても、(忘れたころに)新しくゲームを始めるかなぁ。

弱いなら弱いなりに自分で考えて(ときどき全滅したりしながら)進んでいくところがおもしろいと思うのだが、攻略本見ながらプレイするのってどうなんだろう。ま、確かに学生ではなくなって、ゲームに費やす時間を節約したい気持ちは分かるようになってきたのだが、それなら最初からやらなければいいのでは? と思い、最近はゲームから遠ざかっている。

輪廻転生して自分が人生やり直せるにしても、自分の記憶はリセットして一からやりたいかな 。大学入るまでは「いまの頭で生まれ変わったら神童になれる」とか思ったりもしたものだが、いまとなってはなんてくだらないことを考えていたのかと……(汗)

自分がなにかで成功した、ということより、自分はなにかで苦労した、失敗した、ってことのほうが、たぶん自分の人生を形作っているのではないかと思うのである。いろいろこの時期論文執筆で苦しむ人はいるだろうが、やり方が分かっていることをやるよりやり方が分からないことをやるほうが、あとから振り返って「つらかったけど楽しかった」と思えるだろうし (前半しか感じない人もいると思うけど……)、ここが正念場だと思ってがんばってほしい。