青年の Pride and Prejudice

起きたら雨でヒキコモリ決定。家でご飯作ったり、ポケモンちょっと進めたり。なんか今回のポケモン、やたら長いような……?

ついぞ紹介しようと思っていて紹介していなかった、頑張れ、新留学生という記事。これはMITの大学院に留学している人の体験記なのだが、とてもよい。海外に行くことを考えていない人も一読をお勧めする。一部だけ抜き書きするのが惜しいくらいだが、こんな感じ。

空港に着いたのは夜十一時過ぎで、熱帯夜が続く東京と比べると随分と肌寒かった。両手に持った二つの大きなスーツケースには生活用品がぎっしりと詰め込まれていて、僕の胸は自信でぱんぱんに膨らんでいた。タクシーに乗り込み、行き先を問われ、「MIT」と答えるのが誇らしかった。
しかし、その日から半年の間に僕が経験したのは、風船から空気が抜けるように、自信がみるみる消え去っていく過程だった。
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交友関係でも苦労した。特に辛かったのが飲み会だ。授業とは違って崩れた英語が話される上に、周囲が騒がしいこともあって、なかなか会話を聞き取れない。誰かが楽しげにジョークを言い、周りの皆が腹を抱えて笑う中、僕一人それを理解できずにいた。オチを聞き返して白けた目で見返されるのが怖く、かといって一人だけムスッとしていると余計に仲間に入れないから、分かったフリをして作り笑いをした。そんなことを繰り返す自分が嫌でたまらなかった。気が滅入ると余計に口から言葉が出なくなり、眼前を左右に飛び交う会話に入ることが出来ず、ただ黙って座っている時間はとても長く感じた。手持ち無沙汰なせいでビールの減りが早く、楽しくもないのに酔いだけが回った。そんな飲み会のあと、寮の自室に帰って、僕はとても惨めな気持ちだった。やがて飲み会の誘いにも気が進まなくなり、忙しいからなどと適当な理由をつけて逃げることもしばしばだった。
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胸にぱんぱんに詰め込んできた自信は、こうしていとも簡単に失われた。

非常によく分かる、この気持ち。自分もオーストラリアに9ヶ月いたが、「ここにいるのは自分か」と思うようにそっくりである。このあと著者がどうなるかはリンク先のブログをご覧いただくとよいと思うのだが、自分もなにかあったとき「あんなどん底があったのだから、なんとでもなる」と思えるようになったのが、その後の転換点だった。こういうの、いともたやすくこなしている人を見ると「すごいなぁ」と感じるのだが、自分は相当受難のときがあったし、何事も初めて3年くらいは全然芽が出ないので、そこをどう耐えるかかなと思う。

日本では当たり前にできていたことができないとき、「こんなの別にできなくてもいいし」とイソップ寓話の食べられないブドウは酸っぱいと言うキツネのようになりたい誘惑もあったが、できない自分と向き合って、できることから積み上げて行った過程が自分にもあったし、できることしかやらない生活に慣れているとどんどん視野が狭まっていく。(特に若いうちはそれは避けたほうがよい)

留学できる機会がある人、あるいは海外にインターンシップで行くチャンスがある人は、時間のあるうちに行っておいたほうがいい。大したことができなくてもせいぜい数ヶ月-数年使うくらいだし(なんとなれば自分は学部のとき1年浪人、3年留年している)、学部のころなんて数年なくなってもあまり失うものはないのである (たった20年かそこらしか生きてきていないんだし、自分で自分の人生選ぶようになってからの年月なら両手で数えるくらいの年しか経っていない)。

趣旨は少し違うが、アメリカ生活の残念な点も同意。アメリカは(特に西海岸は)お金があれば住みやすいが、そんなにお金がない場合、日本は相当住みやすい国だと思う。自分自身アメリカで暮らすことにそんなに抵抗があるわけではないし、人生の一時期海外で過ごしてみたいなと考えているのだが、メインの住処はやっぱり日本かなと思うのだ。(今後自分の人生がどう転がっていくのか全然分からないけど)

昨日の言語学×自然言語処理合同勉強会の懇親会で、みなさん海外に年3回行っているとかいう話を聞いて(今年は1回も行けていないので)ちょっとうらやましかったが、自分もいつか年単位でもう一度海外に行ってみたいなぁ (何歳になっても、行った直後は心細いものである)。いつのことになるやら。