プライドが高い東大生たち

大研究 東大までの人東大からの人に中高の将棋部の後輩が出ていると聞いて読んでみる。彼は彼でがんばっているようで一安心だが、この記事全体いろいろツッコミどころがあっておもしろい。

特に8ページ目から先が出色で、「『東大なのに』就職試験に受からない人たち」というタイトルでいくつかエピソードが書かれている。

 証券会社の面接会場に現れた東大法学部3年生は、スーツでなく、ジーパンにシャツ姿。大股を広げて、イスにどかっと座る。志望動機を聞くと、「僕はあなたの会社を志望してはいません。採用して頂けるなら、入ってもいいと思っています」と話す。面接官が怒りをおさえて、「東大だからって採用することはないよ」と伝えると、「あなたは東大卒なんですか。東大卒じゃない人にそんなこと言われたくないよ!」と逆ギレされたという。

 銀行、マスコミ、広告代理店など30社ほどにエントリーしたが全敗。2年連続で就活に失敗し、司法試験に路線変更したという文学部卒業生も、自らの面接体験を、こう総括する。
「就活の一次面接で落とされるなんて考えたこともなかった。僕は予備校の全国模試で上位に入ったこともあるし、大学では論文を高く評価されたこともある。それを東大卒じゃない普通のサラリーマンに『不採用』なんて評価を下される。もっと頭のいい人なら僕の良さをわかってくれたと思うと、今でも腹が立ちますよ」

あるある……。

人数が多いので特異な行動を取る人が目立ちやすいというのはあるかとは思うが、こういう人、けっこういる。自分も「空気読めない/読まない人」なので、人のことは言えないが……。

本人たちは自分たちが「異常」であるという自覚がないか、あるいはあえて奇人変人に見えるようにそうしているかのどちらかであるが、基本的に論理的思考能力はあるので、前者の場合「そもそもあなた方が正常と思っているのは云々」みたいな絡み方をされて大変面倒くさいと思う (笑) 後者の場合性格はノーマルで変人のフリをしているだけなのだが、本人が意志を持ってそう行動しているため、こちらも (そういう人はえてして頑固なので) 面倒くさい (笑) 自分は両方だったかなぁ。最近中高時代からの友人に会っても「小町は普通になった」と言われるので、よくも悪くもたぶん普通なんだろう。(昔は「変人になろう」と努力していた)

ま、多様な考えの人が共存できる社会のほうが好ましいだろうが、自分が得意な領域で評価されたがる(勉強さえしていれば誉められたから?)よりは、もっと打たれ強く、しぶとくなっていいんではないかと思う。自分も浪人と留年を経て、いろいろ落ちたりもして、それはそれで楽しんでいるし。

午後、機械翻訳の勉強会。NAIST でようやく統計的機械翻訳のグループができたので(これまで自分1人しかいなかった)、チームで活動しましょうか、という感じ。やっぱり蓄積してきたものがあるとよいのだけど、全然ツールだとかアルゴリズムだとか蓄積がないので、しばらく続けないとね。