電子媒体で読み書きすると記憶に残らない

今日の研究会はM1の研究会発表。@tomo_wbくんと@otoritoriくんと@jhirwinくんの3人。

どれもおもしろい内容。自己紹介はあると分かりやすいし、今日のみんなは効果的に使っていたのでとてもよかったと思うが、自己紹介は1枚か2枚くらいにとどめて、あとは研究につながる話ができるといいかな。

宮崎駿が iPad について語った内容が取り上げられているが、言われてみるとそれもそうかも。

あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。嫌悪感ならあります。その内に電車の中でその妙な手つきで自慰行為のようにさすっている人間が増えるんでしょうね。電車の中がマンガを読む人間だらけだった時も、ケイタイだらけになった時も、ウンザリして来ました。
(中略)
一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。あのね、六〇年代にラジカセ(でっかいものです)にとびついて、何処へ行くにも誇らしげにぶらさげている人達がいました。今は年金受給者になっているでしょうが、その人達とあなたは同じです。新製品にとびついて、手に入れると得意になるただの消費者にすぎません。
 あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。

消費者になる人は多い。このテキストがジブリの中の人(つまり生産者でなければならない人)向けに書かれているということを差し引いても、やっぱりそういう立場にある人は生産者にならないといけないのだと思う。国際会議で発表されたばかりの論文に飛びついて(いや、読んでトレンドを知るのも重要なのは百も承知だが)、ああだこうだと話すのと、似ている。自分で書かず、他人の書いたものを読む。それ自体に問題はないが、新しいものを知っている、所有していることで得意になる。そういうことを諌めているのであろう。(と、自分もここ2日論文紹介を日記に書いているので、自分のことを言っているようだが)

論文の話で分かりにくければ、新しく流行りだしたプログラミング言語を使いたがる、でもいい。もしくはapt-get とか emerge で全部のパッケージを最新に更新して悦に入るでもいい(新しい Ubuntu にバージョンを上げた、とか)。そういう態度は消費者であって生産者ではない。

人それぞれ、ある面では生産者であってもある面では消費者で、というのが当然なので、全てにおいて生産者たれ、というつもりはないが、自分が「ここはスペシャリストだ」と思える分野では生産者であるべきではなかろうか。

はてさて、自分はどの分野で生産者になるべきか。

そういえば、論文最近は iPad で試しに読んでいるのだが、GoodReader というアプリケーションも Papers というアプリケーションも、PDF のアノテーション機能が貧弱すぎて、印刷したものに赤で書き込むほうが絶対よい。

「講義中のノートPC使用禁止」議論、米国でというのを見ると、

Newsweekの記事によると、Web閲覧やゲームなどいわゆる「内職」をしてしまうのはもちろん問題だが、PCでまじめにノートをとっている場合でも成績が落ちる、との結果が得られたそうだ。

だそうで、自分も同感。ノートを PC で取るのと、手帳や紙に手で書き込むのと両方やっているのだが、頭に残そうと思うと絶対ノート・手帳に書いたほうが残る。裏紙に書いていたこともあるのだが、同じスペースであっても、なにに書くのかによって定着率が違う。自分が捨てないであろう媒体であればあるほど、不思議といいノートが取れるのである。裏紙にメモするのと PC でメモするのだったら、自分は後者のほうがいいかなぁ。裏紙はどこかに行ってしまうし、保存したいとも思わないし、記憶にも定着しないのであれば、まだ検索可能になっていたほうが嬉しいから……。

ただ、誤解のないよう補足しておくと、紙のほうが常に電子媒体(電子ブック、PC のノートテイキング、etc)より優れていると言いたいわけではなく、自分のようなオールドタイプの人間は(まあ上記の実験を信じると自分以外の人でも)、理解を第一に考えるなら紙に書くべきだ、という話で、理解じゃなく記録や検索を第一に考えるなら電子媒体のほうがいいと思う。実際自分もミーティングの記録は PC で取る(Wiki に直接書き込む)し。書いたら自分の脳は揮発性メモリなので、1日寝るとすっかり忘れてしまうのだが (笑) もちろん PC でも十分記憶できるほど頭(記憶力)のいい人は問題ない。自分はほとんど記憶力がないので、集中して真剣に相手の話を聞いていないと(もしくは論文を読んでいないと)頭に残らないし、そのためには PC は無用の長物、というかあることによってむしろ理解が阻害される。

自分は新しい流れについていけるのだろうか……iPad で論文を読むのは、リファレンスがあったら一瞬でダウンロードして読み続けられるし(これは勉強会で紙の論文読んでいるときにはできなかった点、ものすごい使い勝手の向上!)、書き込みもできるのだが、やはり頭への定着率としては紙にはかなわないなー あとで数年後に「そういえばあの論文って読んだっけ」となったとき、毎回読んだものには印をつけ、感想やキーワードを入れておくと非常に有用なことが簡単に予想されるのでしばらく続けているのだが、iPad にしたことで論文の理解度は確実に下がったと思う。あとは検索性、携帯性の向上がそれを補って余りあるかどうかだが、今のところこれは iPad というハードウェア的なものの制約のせいではなく、iPad 上で動く論文管理・閲覧ツールの問題なので、使いやすいツールがあればいいのだけどなあ。