大学院では先生を選びなさい

久しぶりに車で高の原まで行き、本を物色。

行動経済学―感情に揺れる経済心理 (中公新書)

行動経済学―感情に揺れる経済心理 (中公新書)

を購入。以前も書いたように、行動経済学というのはおもしろい分野で、人間は必ずしも合理的に行動する訳ではない(古典経済学は「完全無欠な人間が完全な情報を得て正しい判断をする」というのが大前提)、ということをモデル化していて、人間って正しい判断ができないものだよね、ということを教えてくれる。この分野のパイオニアのカーネマンが2002年のノーベル経済学賞を受賞したことで覚えている人も多いだろう。
先月の新任助教講演でも、行動経済学の話の中から「人間は選択肢が多いほど満足感が下がる」という実験結果に関するエピソードを出して話したが、周りを見ているとロジカルに考えていると思っている人ほど、こういう心理学的な知見を知らずに不満感を募らせているように思える。この本が出るまでは
行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

が手軽に読める本だったが、この中公新書の本はもう少し経済学史的にひもといた本なので、行動経済学の産まれてきた背景についても知りたい人はこちらのほうがいいかも。

で、実は言いたかったのはこの本の内容ではなく、「あとがき」である。(書店に行くことがあったら、たった3pなので、ぜひ読んでみてほしい) 著者の恩師はケインズ経済学者の伊東光晴なのだが、ちょうど大学院進学と同時に定年になることが決まっていたので、他の研究室に行かなければならなかったそうだ。

そこで著者は先生から「依田くんは先生を選びなさい」と言われて悩むそうだが、師事したい先生を思いついて「この先生はどうですか」と行っても先生は「依田くんは先生を選びなさい」と言うばかりで、禅問答のようで OK を出してくれない。そこで腹を立てて先輩に相談すると、「伊東先生は、依田くんに西村先生のところに行ってほしいんだよ」と教えてくれたそうで、その翌週先生のところに行って先輩に教えてもらった先生の名前を告げると嬉しそうに「きみがそう言うなら自分が取りなしてあげよう」と OK をくれた、という。

そこでその先生のところに、これこれこういうことがしたいんです、自分は経済学を変えたいんです、と言うと、その当時登場しつつあった行動経済学(当時は経済心理学と呼ばれていたそうだ)の論文を渡されて、研究がスタートしたそうだ。

初めてうかかがった西村研究室で、私は不確実性の研究に献身したいこと、物理学の世界で量子力学がもたらした認知革命が経済学の分野でも必要なことを力説した。西村先生は達人のようなところがある。受けるのではなく流すのである。おもむろに本棚から黄色の表紙の英文学術雑誌を引き抜いて、私の目の前に差し出した。雑誌には Journal of Economic Psychology と書いてあった。西村先生はこう言った。「米国では、経済心理学という新しい学問分野がおこりつつある。人はなぜ誤るのか。それが僕のライフテーマです」。
 こうして、恐らく日本最初の経済心理学のクラスが京大で一人の先生と一人の学生によって始まった。今私が引き継いでいる講義はそれである。

このくだりを見て不覚にも泣きそうになってしまった。こういう学問が産まれつつある状況に自分は弱いのかもしれない。学問の高速道路を走るのではなく、テキストもなにもないところで、曲がりくねったでこぼこ道を走るようなところ。「はじめに」にはこうある。

私の師である伊東光晴先生はおっしゃった。「新書は通り一遍の解説書であってはならない。最先端の知的格闘が伝わるように書かなければならない」

まさにその通りで、解説だからと手を抜いては逆に初心者におもしろいところが伝わらず、いかにこちらが分かりやすくしたと思っても「難しかった」という印象しか残らなかったりする。それよりは、「難しかったけどおもしろそうだった」と思ってもらえるほうがいいし、むしろそうするべきである。
ちなみに伊東光晴は自分が経済学の研究してもいいかもと思ったきっかけであり、大学1年のとき

を読んで「経済学ってこんなにおもしろいのか!」と目を開かれたものである。それまでは「経済学なんてお金儲けに関することだし、興味ないね」なんて思っていたのだが、人間の意思決定に関するあらゆることが経済学に詰まっているのであって、そういう思考のトレーニングをするには経済学はとても有用だと思うのである。

話を戻すと、師匠を選びなさい、という話は

理系のための研究生活ガイド―テーマの選び方から留学の手続きまで 第2版 (ブルーバックス)

理系のための研究生活ガイド―テーマの選び方から留学の手続きまで 第2版 (ブルーバックス)

にも出てくる。研究室の選び方として1つは研究テーマで選び、1つはボス(教授)の人柄で選ぶ、というもの。自分は後者だなぁ。オープンキャンパスに来て松本先生と直接お話しして、研究テーマはよく分からなかった(まだ決めていなかった)が、この先生の下なら博士まで進んでもいいだろう、と思ったし、入学してみてこんな気さくで尊敬できる先生が世の中にいるのか、とびっくりしたものである。受験生からも説明会やオープンキャンパスのあとお礼のメールやメッセージをよくいただくのだが、「松本先生はこんな自分でも親身に話を聞いてくれて感激しました」「自分の状況の心配までしてくれていいお父さんのようでした」などと書いてもらうことが多い。オープンキャンパスでも、できるだけ受験希望の学生とは全員と個別に話したい、ということで、毎回1日で20人近くの学生と直接会っているそうで、先日半日応対しただけでへろへろになった自分としては、舌を巻く。実際、松本先生がいてくれるからこそ、自分も NAIST に残ろうと思ったわけで、◯◯ができる、◯◯が学べる、というのも大事だが、この先生なら一生ついて行ってもいいかも、と思えるような師匠を選ぶのはとても重要だと思う。

そういえば、この本自分は第1版も持っているのだが、内容が改訂されていると聞いて買って読んでみたところ、ほとんど元の版に載っていた文章が差し変わっているような気がする(表現に読み覚えがあるところは全体の1-2割くらい?)。第1版を読んだ人も、違う本だと思って買って読んでみるといいと思う。確かに第1版はかなり内容が古くさかったので、第1版を読んでいない人はあえて第1版を買ってまで読む必要はないと思うが。

学部生のうちは高速道路をすいすい行けばいいが、研究というのは荒れた道を行かなければならないから、必ずしも勉強のできる人が研究できるとは限らないし、むしろ往々にして学校の勉強では劣等生(でも課外活動や恋愛に精を出した)だったほうが研究者としての適性がある、なんて話もこの本に載っている。自分も回り道人生を送ってきたし、全く同感である。進路に迷っている人、進路が不安な人はぜひこの本を読んでみよう。