大戸屋のお茶バー

午後は論文直し(と書こうとすると「論文捏造」が予測されたが捏造じゃないですよ! どうでもいいが「捏造」は本来「ねつぞう」ではなく「でつぞう」と読む。通じないので「ねつぞう」と言うが自分は心の中で「でつぞう」と発音している)。

修士秋入学の makoto-t さんの計算機環境のセットアップなど。そういえば自分は研究室の元計算機係。昔は Gentoo で研究室のサーバとかワークステーションを固めていたので面倒を見ていたが、junta-m くんが入ってきてからは(彼もドクター行きそうだったし)全部お任せ。2年おきでドクターに行く人誰かが計算機係になってくれれば引き継ぎはできるはず……(失敗したら一時助教預かりになりそうだが)

manab-ki くんが大戸屋でお茶バーに行きたいというので makoto-t さん含めて5人で向かう。元々 makoto-t さんも元々文系出身だということで親近感。ちなみに M2 (修士2年生)のとき、国 I (国家公務員試験 I 種。いわゆる官僚になるための試験)受けようかどうしようかさんざん迷って、受験票までもらった。いま思うと M2 の4月から11月くらいまでは病んでいたと思う(M2 の夏にインターンシップに行けなかったのも大きい)。結局悩んだ末試験に行かなかったのだが、受かったら経産省文科省に行こうと思っていた。そうしていたら人生違っただろう(行っても悪くなかっただろうが、行かなくてよかったと思う。そもそも文系職で出していたので受からなかったと思うけど)。

修士2年のころは博士の研究テーマで非常に悩んでおり、このままあと3年は無理だ、と思って鬱々としていたのだが、友人に相談したら「元々その研究室の先生を慕ってきたなら、他の人はどうでもいいから、その先生の真似をすればいい。学べることは全部学べばいい。それで真似できなかったことはあなたの個性だから、それを大切にすればいい」と言われたことをきっかけに腹をくくり、これは自然言語処理に骨を埋めるつもりでしばらくやるか、と覚悟したら、だいぶ楽になった。その後いろいろあって(現在の妻とも出会って)その当時の問題は自然に解決したのだが、仕事のスタイル次第で生活も楽しかったりつらかったりするなぁ、とふと思い出した(というのを今日 makoto-t さんと話していて思った)。

元々科学史・科学哲学出身なので、科学社会学に興味があって、どういうふうに科学が作られているか知りたいというのがある意味ライフワークなのだが、学部4年間は科学哲学側で見て、修士2年間は科学者(技術者)側で見たので、次は研究費を出している側から見たらどうかなと思って、官僚になるのもありかなと考えていたのだ。結局博士の最終学年まで来たが、修士の2年間だけでは分からなかったさまざまなこと(そして海外の研究機関やエンジニアの企業に入って見聞きしたり体験したことで、日本とアメリカで全然違うことも分かったし)も見えてきたし、あのときは研究おもしろくないと思っていたが、その後研究楽しくなってきたので、早まらなくてよかったなと今では思う。まあ、この趣味は将来研究者を引退したときの楽しみに取っておこう……。研究がつらいというのと楽しくないというのは違うのだが、苦しいからおもしろくないと考えてしまったところがだめだったのかなぁ。走り込みとか素振りとか延々やらないと試合でも勝てないように、研究にもハレとケがあって、普段は苦しかったりつらかったりすることもあると思うし、そういうのに耐えるのが大事なんだと思う(ということを松本先生がぼくらの結婚式でスピーチしてくれた)。

そういえば国家公務員試験は受験して落ちたら記録が国に残ってしまうらしく、将来産総研など国立の研究所に行くとき問題になるそうなのだが、結局国立の研究所には行かないことになったので、引っかからなかった。博士号があれば国 I の試験は受けなくてもいいらしいので、博士進学予定の人はあまり血迷わない方がいいと思う(選択肢を狭めない的な意味で)。

お茶も飲んでデザートも食べて帰ってきたが、お茶を全種類制覇できなかったのが気がかり(笑)