大学院生を減らしたり増やしたりコロコロ変えないでほしい

博士課程の縮小要請へ=財政支援で大学院再編促す−近く国立大に・文科省というニュースが流れていて、なんだかなぁと思う。

もともと出口がないのは分かって(受け皿ができることを期待して)増やしたにも関わらず、受け皿がない(社会問題化した)から撤回します、というのは朝令暮改と言われても仕方ない。政治の役割というのは社会の仕組みを変えることであって、それは需要と供給がマッチするところを探るものではなく(それは「神の見えざる手」がやるべきことだ)、需要と供給の釣り合いを(税金の優遇や補助金や規制などにより)「あるべき姿」に誘導していくことだと思うのだが……

そういう意味では今回の縮小要請は単なる現状追認であり、研究のバックグラウンドを持った人を社会に増やしたいならもっと手厚く最後の就職までサポートすべきだったのにそれを怠り、社会に(特に振り回されたその時期の学生に)ツケを払わせるという、かなりひどい選択肢だと思う。肯定的に評価するならば、一度決めた方針だからと撤回せず突き進むのではなく引き返す勇気があったのだとも言えるが、大筋としてはもっと博士号の価値が(アメリカ並みとは言わなくても)評価されて然るべきだと思うし、これでそういう流れが後退するのは必然なので(希少価値が上がるから評価されるようになる、という可能性もあるが、分からないものをありがたがるより中身を理解されて評価されるほうが嬉しくないのかなぁ?)、残念ではある。
高学歴ワーキングプアについて書いたように、どうしようもなく行き場がないのは人文系の大学院生であり、理工系はそこまでひどくはないと思うのだが……(どうしても大学とか国立研究所とかの研究者になりたい、というのでなければ)。

ただ工学系も博士の就職については理学系の X 年後を追っているように見えるし、ポスドクは倍増したが職はないという記事を見ると、工学も近い未来こうなっていない保証はない。本文に指摘されているが、最近はポスドクの海外、特にアジアへの流出が激しいらしく、先日読んだ理系白書3の

迫るアジア どうする日本の研究者 理系白書3 (講談社文庫)

迫るアジア どうする日本の研究者 理系白書3 (講談社文庫)

もタイトルがそのままズバリ、第3章がちょうど博士号取得者の就職難について割かれており、「人材を生かさない日本」というテーマで任期制の功罪や構造的な就職難について描かれている。アカハラも読むといろいろなパターンがあるな……

博士号取得者に関しては、アンケート調査結果によると「(学部や修士の学生と比べて)頭が固くプライドも高いので使えない」という印象があるために民間企業で登用が進まないそうだが、採用したあとの民間企業の満足度はむしろ学部や修士卒の学生よりも高いという結果だそうで、単なる食わず嫌いだと思うのだけど、博士号取得者は修士卒・学部卒の人と比べて微妙に優れているくらいでは企業も効果を体感してくれないので、もっと目に見えて「この人たちを採ってよかった!」と思わせるくらいすごくないといけないのだと思う。少なくとも、現状の食わず嫌い状態を解消しようという段階においては、そういう人たちが切り開いていかないと企業側もメリットを感じられず、現状維持になるだろうな〜。

あと、こちらでも引用したが、日本では長期的な物の見方をできる人材が必要とされていないということもあるのかもしれないなぁ。

いろいろ根が深く、かつ他人事ではないので、どうするのがいいのだろうかと日々考えている。(自分が働くとしたら上記のような意識で働こうと思っている)