日本語が工学の言語になろうとしていた時期

昨日のエントリに関して何人かから「研究者」として紹介されたのがちょっと嬉しかった。国語問題に関しては4年前の研究で、しかも続きをやっていないので、なんとも言えないけど……。

イデアはいくつかあって、特に関心があったのは、大東亜共栄圏の学術語(前述の本で言えば「共通語」)として日本語が生き残る、という筋道は、日本が植民地時代の言語政策にもう少し関心があれば、ありえたと思うし、それについてもっと検証したい、と言うのが一番大きい。

たとえばトラックバックいただいたが英語とかガラパゴスとかフラット化とかで、つらつらと考えること。

他の国が多くの分野で一番になったら、その国の言語が共通言語になることがあるかもしれない。しかし、アメリカが建前であっても自由の国で他の国からどんどん人を集める限り、アメリカが一番であり続けるだろう。ロシアや中国は政治的に、フランスや日本は面積的にアメリカと同じことはできない。だからこれからも英語は共通言語であり続け、英語の重要性は変わらないだろう

とあるのだが、オランダは現在も昔もアメリカなんかより遙かに「自由」な国として有名(マリファナが合法であったり性的マイノリティに関しても積極的だったり、あと移民や留学生にも寛容である。しかもドイツにもイギリスにも近いので、両方の言語を話せる人が少なくない)で、しかも一時期世界でヘゲモニーを取った(つまり軍事的にも経済的にも世界一だった時期がある)にも関わらず、オランダ語は共通言語として定着することはなかった、というのは歴史が証明している。面積的に無理というとそもそもイギリスですら無理ということになりそうだが、結局イギリスはアメリカという植民地を使って英語を拡大したわけで、本国の面積は関係ないんじゃないかなぁ、と思う。

実際これは「日本語が亡びるとき」に出てくる挿話なのだが、旧社会主義国ソビエトを頂点とする階層構造をしていて、旧社会主義国のエリートたちはロシア語を学んでロシアでアカデミックな研究(政治や経済の勉強をして本国に帰るというのもある)をしていたわけで、そこではロシア語が「共通言語」とされていたわけだ。ロシアで研究されていた科学はあまりオープンでなかったのでいろいろ問題があって(たとえばルイセンコ論争)、結局冷戦が終わったらほとんど顧みられなくなってしまったが、冷戦中はロシアで発表された論文を英語にせっせと翻訳するのが至上命題だったこともある(そもそも機械翻訳は最初仮想敵国のロシア語を英語に翻訳するために研究されていたものである)。

同様に、中国も近代以前はアジア各国から留学生を受け入れ、そして留学生は本国に帰って(当時世界最先端の)技術を伝えていたわけであり、日本でも遣唐使や遣隋使といった単語を小学生のとき習ったかもしれないが、中国の技術を積極的に導入していた。そこで書物は漢文で書かれていたので、(必ずしも当時の中国語を喋れなかったとしても)漢文文化圏が成立していたのである。

で、日本に戻るが、日本も戦前中国やベトナムから大量に留学生を受け入れていたのは知らない人が多いかもしれない。当時「欧米列強の支配を受けず、急速に科学技術を発展させた」国として、アジアの中ではトップクラスだったのである(だからこそ戦争に突っ走っていったのだろうが)。たとえばみんな知ってそうなところでは李登輝ベトナム東遊(トンズー)運動で有名。戦後もマレーシアはルックイースト政策をしていたり、日本は東アジア圏でお手本にされることが多い国なのである。

また、欧米からの翻訳書の充実ぶりもすごい。これだけの質の学問に母国語(!= 母語)でアクセスできる国というのも珍しいし、学術語を外国の言語(たとえば英語)にしてしまった国は、そもそも学術的な水準が低かったがためにそうせざるを得なかった国(たとえばミャンマー)であり、これだけのレベルを維持しているのにあえて英語を推し進めるのは馬鹿げている。特にバブル崩壊前はアメリカが日本を仮想敵国(とまでは言わないかもしれないが)としていて、特許などの技術戦争で日本からの技術をいかにしてアメリカ(= 英語圏)に持ってこようかと、日本の論文をひたすら英語に翻訳するプロジェクトが進められたこともあるくらいだ(結局非現実的であることがその後分かり、頓挫したそうだが、頓挫するころにはバブルも崩壊していて、やっばり日本から学ぶことなんかないよね、という時代になっていたので、結果オーライ?)。

こういうふうに、結局のところ言語が使われるか使われないかは、その言語で読みたい・得たい知識が書かれているかどうかに強く依存する(もしくはその言語が使えることが経済的な地位向上に直結する)のであって、まずそれ(いまふうの言葉で言えばコンテンツ)を充実させることが先決であり、それから言語の問題になるのではないか? いま日本語海外で学ばれているの、一番需要があるのはアニメやゲームだからなー。日本語で書かれた論文までわざわざ読もうという気にはならないだろう……(でも、上に書いたように、そういうことが真面目に危機感を持って検討されていて、実際に実行されていた事実は知っておいた方がいいように思う)。

(追記) O 野原くんに教えてもらったのだが、圧縮の研究ではまだロシア語の文章をがんばって読んでいたりするらしい。ロシア語は宇宙と原子力かなぁ、と思っていたので意外であったが、このように分野によっては虫食い的に英語以外の言語も追いかけたほうが最新である、というのもあるんじゃないかと思う(もっとも、その分野のマジョリティはやっぱり英語で、アーリーアダプターというかアルファブロガーというか人柱的な人が英語以外で自分も母語ではない言語を読もうとするのかなとも思うけど)。情報深謝。