サービス向上?

大学教員の日常・非日常で知ったのだが、最近は親に成績通知表を渡す大学も増えてきているらしい……。嘘かと思ったら元記事を見てもらえるといいのだが、早稲田(一部の学部)・慶応(全学)・上智(全学)などの私立はおろか、北大(全学)・東北大(一部の学部)・神戸大(一部の学部)などの国立大も通知しているそうだ。

大学生にもなって親がしゃしゃり出てくるのも信じがたい話(でも代ゼミの寮で住み込みチューターしていた経験からすると驚くには当たらないが……)なのだが、上記ブログによると状況はもっと深刻で、

成績がよい学生の親には「大丈夫ですよ」と言い、
成績が悪い学生の親には「学習する習慣がないようですね」と示唆する。
やればできるのかもしれない、という猶予を残して伝える。
我が子は「やればできるのだ」と思わせてあげる。

学生中100人中95人はこれでいい。

残り5人の学生は厄介だ。

3人は人生をなめている。どうにかなると思っていて、努力なんてするつもりもない。親も大学をなめているので、一歩間違うと親子クレーマーとなって襲いかかってくる。

のこり2人は人生に行き詰っている。正確には、親に行く手を阻まれてどうしていいかわからなくなっている。もう素人の教員が口を出す範疇ではない。プロのカウンセラーのお仕事だ。

とのこと。確かに自分がチューターをしていた5年くらい前もこれくらいの割合だったような気がする(しかし上記ブログのコメントでは、ある大学では厄介な学生の割合が3割だとか……)。もう大学が最高学府であるという幻想は諦めて、修士くらいまでは自動車の教習所に通うような感じで構成しないといけないんではないか?と思っている。

  • 修士まではコースワークだけで(論文書かないでも)取れるようにしていいんじゃないかと思う。その代わりコースワークはプロジェクト実習必修で、かなりハードにやらないと単位が出ないようにして。はてなインターンシップみたいな実習を2回以上体験すること、みたいな感じで。
  • プレゼンテーションは就職だろうがなんだろうが必要としても、研究の論文を書く能力が(学部や修士卒業の人に)必須かどうかは疑問符がある。研究能力も必要だ、と主張するなら研究計画書を書く能力も必要だと思うし、(情報系なら)コードを書く能力も必要だと思うが、現在のプログラムでは結局建前的にもチェックするのは論文書く能力とあとプレゼンテーション能力だけだし(しかも後者は補助的)。
  • 自分が順番つけるなら、プロジェクト遂行能力 > コード書く能力 > プレゼンテーション能力 > 研究計画書書く能力 > 論文書く能力 かな?

Twitter にも書いたが、「誰でも身につけることができるもの」という基準でまとめ直したほうがいいように思うんだが……。たとえば日本に生まれたらほとんどの人が日本語で喋るのは身につけられるのに対し、日本語で書けるようになるかは本人の努力次第(日本は識字率に関しては優れていると思うが、世の中字が読めない人はたくさんいるわけで、文章の読み書きはかなり修練しないと身につかない類の能力)であるのと同じように、修士くらいまでの教育プログラムは、誰がやっても同じように一定水準はできるようにしておく、という具合に。

すぐに思いつく反論ポイントとしては、そんなの大学まで来たら自分でやることじゃないの?というのと、そうはいっても直接なんらかの形で役に立つとは限らないが、努力してでも身につけておいた方がいい能力はあるので、教育機関ではそういうものを身につけさせるべきだ、というのがある。前者に関しては、結局「自己責任」と言って自動車の教習をせずに免許を発行しておいたら恐らく事故多発になってひどいことになるだろう(というか今の日本の大学はそうなので、社会に入ったらそうなっていると思うけど……。結局企業が教育コストを負担する形でツケを払っているのではないかな?)。後者は検討の余地があるが、真面目に教育プログラム組んだらいろいろやることあるはずなのに、あえてそれ(= 卒業論文とか修士論文)をやることにしている、というのは再考したほうがいいのではないかと思う。

とはいっても結局卒業論文を廃止した大学(私大を中心にけっこうある。実際兄と弟が通っていた大学では卒業論文を書かない選択肢を取ることができた)なんか見ていると、結局廃止したぶん他に学ぶものが増えるわけでもなく、学生としては単に易きに流れることになるのは目に見えているわけだけど……。