富士見台教会

今日は用事で池袋に来る。前回来たときはものすごい人出だったが、午前中に来たこともあってかそれほど混雑していない。今度から午前中に出かけるようにしようかな。

昼ご飯を食べてから少し時間があったので、中学に入るくらいまで通っていた富士見台教会に足を運んでみる。富士見台駅に降りてみたが、駅からして全然違うので、道を思い出しながら歩く。20年ぶりなので道を忘れていて焦ったが、家族連れの地元の人に聞いたりしてなんとか到達。子どものころの足では15分くらいかかっていた記憶があるのだが、5分くらいで行き過ぎてしまったので、いかに時間が過ぎてしまっているのか、と思ってびっくりした。

自分の家は両親がこの教会に通うクリスチャン(プロテスタント)なのだが、4人の兄弟はいずれも結局洗礼を受けず、中学に入るか入らないかくらいで全員教会に行かなくなったしまった。キリスト教といえどカトリックは産まれた瞬間に洗礼を受けさせるので強制入信だが、プロテスタントは本人が納得しないと入信させないので、だいたい信者の子どもでも物心つくまで(早い人は小学校高学年くらい、普通は中学生くらい、遅い人は大学生くらい)洗礼は受けないのである。自分は信仰を持っていないが、本人の気持ちと無関係に入れさせることがないという点で、プロテスタントは正しいと思う。

富士見台教会は自分が通っていたころは北田先生というおじいちゃん先生が牧師(知っている人は知っているだろうが、カトリックでは先生は神父だがプロテスタントでは先生は牧師。プロテスタントの教会には神父はいない)をしていたのだが、自分が高校生くらいのときに先生が替わって、いまは野田先生という若い先生になっている。母は「野田先生になってから来る人も若返っちゃって、老人はちょっと調子狂うわ」と言っていたが、自分は中学生以来富士見台教会に来たこともなかったので、どうなっているのか全然知らなかった。

教会の話をすると、だいたい朝の9時から小学生・中学生くらい向けに聖書の内容を簡単に話す「教会学校」というのがあって、自分はこれに毎週通って(というか通わされて)いた。それが終わると12時までは「礼拝」という、信者の人が交代で聖書の中の話を読んだり、牧師の先生がメッセージを話してくれたり、賛美歌を歌ったり、という時間がある。昼食を挟んで1時から2時くらいまで、「伝道会」というまだ信者ではない人向けのお話があって、2時からあとは賛美歌のコーラス隊が練習したりなんだりといった時間になる。自分たち子どもはだいたい教会学校に参加して、両親について礼拝まで出て午後は家に帰る、といった感じだったので、実は伝道会がどんなことをするところなのかは分からない(数回参加したことがあるはずなのだが、記憶にない)。教会の人が昔話をしてくれて、「守くんはいつも礼拝で前に坐って本を読んでいたわよね。歴史の本や恐竜の本が好きで読んでいたね」と教えてくれたので、20年前の(自分で自分のことをほとんど意識していなかったころの)ことを思い出す。不思議な感じ。

たまたま来週クリスマス特別伝道会があるらしく、父がそれで劇をするそうなので、劇の練習をつき合って見てみたりする。すごい気合いの入った劇というわけでもないのだけど、仕事持っている人たちが毎週末の少しの時間を使って練習して、わいわい練習しているのは楽しそうだった。見ているこちらも笑い転げていた。父も楽しそうで「ここは我が家よりアットホームです」と紹介して「さすがにそれはないでしょう」と他の人たちも突っ込んでいたが、キリスト教の教会はたぶんたいていの家庭より遙かにアットホームだと思う。一緒に行った人も教会に来るのは初めてだそうで、「教会ってこんな笑いが絶えないで安心するところだとは思わなかった。石造りの建物とかで厳粛な雰囲気だと思っていた」と言っていたが、日本人は「宗教」と聞くと思考停止したり警戒したりするのが多いから、仕方ないのかな。

クリスマスの日に行くと忙しいだろうから1週間早めに行ったので、教会の中もクリスマス仕様になっていた。先日職業牧師の人は嘘くさいと書いたが、やはり信仰を持った牧師の先生に祝福してもらうと嬉しい(そういうつもりで行ったのではないのだけど)。ホテルで挙式したりするとたとえば外国人の牧師さんが出てきたり、つるつるに磨かれたバージンロードだったり、ハイビスカスの生花の匂いが漂ってきたり、プロがオルガン演奏してくれたりするのだろうけど、自分的には富士見台教会みたいにものすごくぼろぼろなんだけどそこにいる人全員が心から祝福してくれるような場所がいいんだけどなー でもやっぱりきれいなチャペルで挙式するのは「女の子の憧れ」なんだろう……(呼ばれた人はキリスト教なんて一生に数回しか触れないものだろうし、そうすると汚い教会だと満足してくれないだろう)。

つき合ってくれた人は看護師をしていた人なのだが、「医療関係の仕事に携わる人は、クリスチャンにならなくてもいいから、若いうちにこういう場所に来るようにしたほうがいいと思う。わたしも25歳のときに教会に来ていたら人生違ったと思う」と言ってくれた。看護の世界でもクリスチャンは(仕事には厳しいけど)意味の分からない差別とかいじめとかする人はいないだろうし、キリスト教系の病院に勤めたらいいのかな、と言っていた。確かにそうだなー。弟もキリスト教系の学校に入ってから性格落ち着いたし、キリスト教を信仰する人は本物なんだと思う。