捏造 howto

昨日のエントリは捏造事件の起きた原因について3つ挙げたが、逆をすると自分で捏造できることになる。

しっかりした研究室になんとか潜り込んで有名な先生に共著者に入ってもらう。

共著者を含め誰にも実験データやプログラムは見せない。求められたら「消してしまった」もしくは「ここにはないので見せられない」と言う。もしくは、論文に詳細を書けない場合、「スペースがないので書けなかった」と言う。

みんなが少しだけ専門外のことを実験に入れる。(全く専門外だとトンデモだと思われて相手にされないが、少しがんばれば追試できそうと思わせるピンポイントが重要) ノウハウがないと使えないようなデータ・プログラムを使う。

ある日本人研究者もこの実験の追試をしていたのだが、結局「おかしいな」と最初に感じたポイントは、捏造したシェーンが実験サンプルを全部捨てた、と聞いたときだったというのがおもしろい。前掲書の pp.108-109 から。

「それが一番の猜疑心を生んだわけですけれど。物理の実験屋というのは、どんなサンプルであっても、自分の実験サンプルは重要なんですね。これを後生大事に抱えて、あとでいろいろとこねくり回すようなことをするものなんですね。愛着があるんですね。全部捨てるということは、自分が今まで研究をしてきた中でもありえないことなんです。逆に言うと、シェーンは実験に愛着を持っていなかった。それは考えられないですね。今回のような実験に関しては特に。だから、その瞬間に、ものすごく猜疑心というか、不信感が増しましたね」

自分も昔書いたプログラムとかデータとか、消していいだろうと思ってもずっと置いてあったりする。見せたら実験していないのがばれるので消してしまったと嘘をついたと考えるのが妥当だろうが、その場しのぎの嘘をついても隠し通せるものではない。ちなみにシェーンは実験ノートもつけていなかったらしい。この分野では普通考えられないことだと思うけど。

続く部分では、シェーンが勇み足的な論文を発表し、ほころびが見え始めた状況についてこうも書かれている。

「シェーンは非常によく勉強をする男だったと思いますから、自分が勉強した範疇でいろいろなら方法やアイデアをきれいにひとつにまとめ上げた、ということだと思います。

 ところが、記録を出すためには、自分だけの領域から出ざるをえなかった。そこから逸脱して、新しい領域に踏み込んだ瞬間だと思いますね。

 私が酸化アルミの膜を作る技術が不得意だ、というのと同じように、シェーンは自分が不得意な領域に足を踏み入れて、そこからペーパーを書いた。そうすると、その領域の研究者には、そうした中身は非常におかしな感覚として残りますから。まずそれが、117Kのペーパーを読んだときに鼻を衝いた、ということですね。その時点で "本当?" と強い懸念を持ちました」

(中略)

「正直言って、たぶん嘘だな、と。それはありえないな、と」

松本先生も学生の発表を聞いていて「その数字ほんま? そんな高い数字になるはずないんやけど」「それとりあえず単純にやってもええんちゃう? そんな難しい問題のはずやないと思うし」「その素性入れて悪くなったとは、にわかに信じられん」などなどとツッコミを入れることがあって、自分の発表に対するコメントだと、あとで帰って実験してみるとほぼ確実に松本先生の言うことが正しいので、こういうところの研究者の「嗅覚」はすごいものだなと常々思う。シェーンも「自分で実験したらこうなった」とか言って肩をすくめていたらしいが、(最初から騙したり不当に自分の提案手法のほうが優れていると主張したいのでなければ)たぶん先生や先輩から言われたコメントは粛々と受け取って追加実験したほうがいいと思う日々である。