論文捏造

中公新書ラクレ『論文捏造』を読む。これは NHK 特集の『史上空前の論文捏造』という番組を本に起こしたもののようだが、なかなかおもしろい。

科学者の不正に関して気軽に読める本としては去年の11月に新装刊されたブルーバックス『背信の科学者たち』もお勧めだが、あちらは原著が20年前で(といっても手口は全く変わっていないところがこの分野の研究・対策の立ち遅れを示していると思うが)、解説で最近記憶に新しい韓国の ES 細胞にまつわる論文捏造などの事例も丁寧にフォローされているものの、ほんの数年前に、しかも学問の体系上捏造が起こりやすい医学・生物学ではなく物理学でこんな事件があった、ということをつぶさに描いている『論文捏造』のほうが読んでいて迫力がある。(Amazon.co.jp のコメントの量の多さからも人気が分かる)

結局のところ、この捏造事件(シェーン事件)のポイントは、

  • 有名な研究所(ベル研究所)の定評ある人が共著者に入っていた
  • 共著者を含め誰も不正に気づかず、実験データの確認もしていなかった
  • 実験に再現性が全くなかったが、それはシェーンのグループに特別なノウハウがあるせいだと世界中の研究者が思っていた

というところだと思うが、科学者は善意の集団で成り立っていて、コミュニティの中に入ってしまえさえすれば、騙そうという気があって論文書いていたら騙せる構造になっている、ということではないか。(そんな馬鹿な、と思う人はぜひ上述の2冊を読んでもらいたい) 

逆に言うと、『捏造事件』では、科学者は間違った理論を発表できないようにチェックする機能があるはずなのに、チェック機構がそんなことはできないと開き直っている、と何回も指摘して問題視していたが、そもそもまっとうに研究をしようとしている人に対しては適切に働くチェック機構でも、システムの穴を突こうという人はそれをすり抜けられるようにできている、というのが(少なくとも科学史・科学哲学の研究者の間では)共通認識であって、科学の「正しさ」なんてのは担保されているものではない。

1998年から2002年までのうちに Nature に7本、Science に9本を含む63本の論文を書き、2001年には8日に1本論文を通していたっていうのは異常なペースだと思うが、彼の実験の追試のために世界中の機関が10億円以上もかけて実験をした、というくらい、彼の研究にはインパクトがあったのだが、実験がどうやっても成功しなくても「ベル研のことだから自分たちが使えない実験器具を使っているのだろう」「特許が絡むから論文に実験の詳細が載せられないのだろう」「実験に失敗するのは自分が技術に詳しくないせいだろう」などなどと考え、物理学の人みんな捏造に気がつかなかったというのは、専門外になると突然勝手が分からなくなる現代科学を象徴する出来事なのかもしれない。

再現可能性が科学には必要だと言っても、追試して再現できなくても間違っていると言えないなら実際は反証不可能な仮説をみんな信じていたということになるが、これもたまたま彼が世界中の研究者が注目する研究をしていたために、一定の期間が経てば再現性のない実験であることが露呈しただけであって、どうでもよい研究していたら誰も注目しないので淘汰圧がかからず、間違った仮説でもまかり通っているのではないかな。