5分間だけで説明してほしい

今日は大学院の公開期末評価(指導教員以外の教員からフィードバックをもらうシステム)の日。首都大は2018年度に学部・大学院を再編したのだが、昨年度までは、「情報通信システム学域」という古い組織の学生がいたので、大学院も基本的には古い組織のやり方に従ってやっていたのだが、今年度からは M1 も M2 も新組織の学生になったので、「情報科学域」という単位でのやり方に切り替わった。

「情報通信システム学域」では、半年ごとの公開期末評価は M2 の前期の修士論文の中間発表だけがポスターで、他の3回は全て口頭発表であり、かつ教員3名程度の研究グループに分かれて実施されていたのだが、「情報科学域」ではこれが M2 の修論の最終発表会だけが口頭発表で、他の3回は全てポスター発表に切り替わった。これは「経営システムデザイン学域」で行われていたやり方に揃えたものである。自分の研究室は学生数が多く、研究テーマも多岐にわたるために2つの研究グループに分かれていたのだが、2グループの副査に入っていたりして、調整も含めて負荷が半端なかったので、ポスターにすることに強く賛同し、今回ポスターになったので少し安堵。

しかし午前中は M1/D のセッションで、120分のポスターセッションで15人の発表にコメントをしないといけなかったりして、単純計算で1人8分(説明5分、QA 3分)でやらないと時間内に終わらないという状況なので、「15人聞かないといけないから、5分で説明してね」と学生にお願いしたのだが、それでも長々と説明する学生がいたりして、時間内に3人終わらずにロスタイムに入ったり。学生からすると最低限副査2人に説明するのに120分も拘束されるのは長い(2人の副査にじっくり説明したいから、1人20分くらいほしい)と思うかもしれないが、こちらはものすごい勢いで回っても終わらないくらいなのである。結局3人とも部屋にいてくれたので、合計20分くらいかけてなんとか話を聞くことができた(D 学生のポスター は、やはり時間を取ってコメントしたいし)。

昼休みは昼休みで山口研・高間研の B4 の学生のポスターのコメントをしないといけないのだが、こちらは合計8人いて、20分遅れで参加したので40分で8人のポスターにコメントする必要があり、1人5分。こちらはなんとか時間内に全員コメントできたが、お昼ご飯を食べる時間はもちろんなく、トイレに行く時間すらない。

午後も120分のポスターセッションなのだが、こちらは M2 のポスターで合計14人。M1 と比べると、何回も聞いているから重複する部分はあまり聞かなくていいのは楽なのだが、込み入ったところの議論をしないといけない部分もあったりして、どちらが早く終わるのかは一概には言えないし、毎回内容をけっこう変えてくる学生のポスターがやっかいで、こちらはちゃんと聞かないといけないので時間が足りず、結局こちらのセッションも時間内には2人終わらなかった。しかも、こちらの2人は(留学生だったから、副査からコメントをもらわないといけないという事情が伝わっていなかったのか)時間になったら帰ってしまったので、コメントできなかったし(汗)

しかしポスターセッションのあとも休む間もなく、夕方は博士後期課程の学生の公開期末評価(口頭)。こちらは1人だけだったので余裕があったが……。

公開期末評価をポスターでやる件は、どうも副査の人数に偏りがあるということがあまり考慮されていない気がするのだが、経営システムデザイン学域では副査の専門性はあまり配慮せず、副査の人数が平準化されるようにランダムに割り当てていたそうで、確かにそれなら時間の問題はないだろうな、と思ったりする。ただ、専門外の人にも伝わるようにする、という題目もあるようだが、やはり大学院の研究だと専門の近い人からのコメントでないとあまり意味がないので(情報通信システム学域では、主査や副査の数に偏りが生じるのは妥協していた)、しばらくこのままやってみて、新学科になってから入学してきた学生が大学院に上がるころに、研究室ごとの偏りが減るのを期待、かなぁ。

着任してからこの方、首都大(来年からは都立大)の研究水準を爆上げしたいと思っているのだが、そのためには指導教員以外から受ける研究・教育の質を上げる必要があり、ランダムに副査を割り当てるのは、教員の負荷は確かに減るのだが、学生の学びの質は確実に下がるわけで、学部生の教育ならともかく(そもそも大学院に進学するつもりがない、つまり研究に全く興味がない学生も一定数いるし)、大学院生にはもっと指導教員以外の手をかけられるとよいと思っているのである。(自分の研究室に来ない学部3年生に研究指導をしたり、他研究室の修士論文にひたすらコメントを入れたりしているのは、自分の研究室以外のレベルが上がらないと大学としてのプレゼンスも上がらないと思っているからである)