40になってようやく同期する

午前中は保育園の運営会議。どうも保育園でアデノウイルスが流行っているようで、欠席している家もちらほら。(このときは、まだ2週間後に娘がアデノウイルスに感染しているとは知らなかった)

保育園の運営について、最近はどこも保育士不足で、もっと保育士の数がいれば施設としてはもう少し子どもを受け入れられるのに、というような状況だそうで、うちも保育士の募集を企画しているのである。3年前、運営では保育士の募集を紙で用意し、600通の封筒に入れて全国の大学や専門学校に送ったということがあり、この時代にそれはないだろう、なんと無駄な作業、ウェブで募集した方が圧倒的にいいのでは、と思ったのだが、実際に保育士の採用につながったのは紙で地道に募集をかけた方だったし、これまで入ってきた保育者さんたちも「大学に来ていた求人票で知った」「大学の就職担当の人から『あなたはここがいいのでは』と紹介された」という形で入ってきているそうで、二重にびっくり。まあ、だからこそ保育者さんたちはあまり PC 作業をしない人たちが揃っているのだろうけど、むしろこんな時代にあえて紙ベースで募集することで、そういう人を特異的に揃えている、という珍しい環境なのかなと思ったりする。

お昼は中学時代からの友人、F 原に自宅の最寄り駅まで来てもらい、娘と3人でランチ。会うのは実に 6年ぶり のようで、娘が生まれてからは一度も会っていなかった(当然、娘を見せるのも初めて)。娘はというと、言葉少なだったが、父の友人であることは分かっているようで、静かにしていた。

前回は准教授になった直後に会ったのだが、今回もたまたま人生のもう一つの転換点で会っているようで、「小町、今にも仕事を辞め(た)そう」みたいなことを言われたりする(今年に入って、別の人にも同じことを言われた)が、定点観測というか、昔からの自分の姿を知る人からすると、これまで自分が環境を変える前にあった、いかにもそれっぽい行動・言動があるのかなと思ったりする(自分が鈍感なだけかもしれないが、みんな鋭い)。

今回おもしろかったのは、お互い自然言語処理の話ができることで、Transformer の話だとか深層学習フレームワークの話だとか、こんなテクニカルな話を2人ですることがあるなんて、中高のころは想像もしなかった。中高大のころは、F 原が化学や生物、物理や数学の話をすることがあっても、自分は1割も分からなかったし(そういう話をしたかどうかもあまり覚えていないが)、自分も言語学や哲学の話をしたこともなかった(と思う)が、30年を経てたまたま偶然局所的には同じことをしているというのは奇跡のようなもの(日本の大学で機械翻訳の研究をしている人数を考えると、ありえないレアさ)である。人生って本当におもしろい。