競争を煽ると女性萎縮する

午前中は統計数理研究所で共同研究のミーティング。いや、正確には共同研究ではなく、単に興味のある人が集まって研究の議論をしているだけだが、こういう集まりがあるというのは大変助かっている(と何回も書いている気がする)。研究室の中だけだと、なかなか研究の幅が広がらないので……。

午後は日野キャンパスで科研費の講習会。前年度からの事務的な変更点の説明ですぐ終わるのかと思いきや、科研費申請のコツのセミナーもあったりして2時間盛りだくさん。直近5年の業績しか書けなくなっていたが(ほとんど研究をしない人への締め付けだと思うが)、最近それを撤廃したのは、出産や育児など事情があって直近の業績の書けない人が不利になるから、という理由だそうで、驚くとともに至極納得。萌芽的な研究費も「強いリーダーシップを持って研究を推進する」みたいな文言が入っていたときは女性の採択が極めて少なく、議論の末その文言を削除したら女性の応募および採択が明らかに増えたそうで、こういう細かい積み重ねが男女共同参画的にも重要である。基盤的な研究に使う費用はバラマキでいいと思うのだけど……(文科省は運営交付金を減らして科研費を含む競争的な研究費を増やしているが、これは Rich gets richer. につながるので、本当はよくない。)。

あと、学長が科研費は基盤Bか基盤Aをずっと途切れず取っていたらしいが、「科研費を取ったらそれでしっかり論文を書き、学生に博士号を取らせる」とおっしゃっていたのが印象的だった。研究費で学生を育てる、という意識はなかった。しかし最近教員1人で運営されている(学生数が20人を超える)研究室の方々を見ると、大きな(単体で年1000万円を超える、複数年度の)研究費を獲得するより、企業との共同研究で研究費を賄っている人が多く、研究費獲得にかかる手間等(と、高額の研究費が取れないリスク)を考えると、競争的研究費に依存しないのが最適な行動のように思える。学生数が少ない、または研究スタッフ数が多い(つまり学生あたりのスタッフ数が多い)のであれば、全体でリスクヘッジできるので、投機的な行動もできるのだろうが、教員1名だと(人の2倍3倍働くのでないかぎり)やれることは少ない。(育児中の教員も同じだが、社会的に女性の方が家事育児の負担が大きいことを考慮すると、競争的研究費の多寡で教員を評価するのはどうか?と思ったりする)

夕方は論文誌の査読。最近は和文論文誌は投稿する学会のものしか査読しないことにしているが、国際誌は投稿しない論文誌でも査読を引き受けている。論文誌の論文の存在意義は否定しないが、論文誌の業績が学位取得に必要とならないような文化に変わっていくといいと思うのだけどな。簡単に通る誰も読まない論文誌よりみんな読んでくれる難関国際会議に通す方が、長期的にはコミュニティに貢献しているし、学位取得のために論文誌に時間をかけるのはあまり本質的ではないと思っているのである(博士論文を書くのに苦しむのは、単著の論文だし、博士号は博士論文に対して付与されるものなので、意味があると思うのだが)。