統計と言語哲学との間

午前中は「自然言語処理」の最後の授業。最後に感想を書いてもらったところ、良かったという内容が大半であったが、レベルが易しすぎるという声と、毎回課題を書かせると集中して聞けないという声がある。

前者に関しては、難しい授業はそもそも研究室内の勉強会に出てもらえればという気がするし、授業で対応するのは無理な気がする。後者に関しては、授業の最後に課題を書く時間を取ったとしても、結局授業中に書いて退出するだけになるので、あまり意味がないと思われる。課題を最後に告知して決まった時間で書く、というスタイルが公平ではあるが、人によって課題を解くのにかかる時間が違うことを考えると、やはり最初に書くほうがいいと思っている。(持ち帰って書いてもらうのがこの問題の解決には有効であるが、コピペ問題という別の問題が生じるし、授業時間だけで完結する方が気楽だろうと思うので、これも変えるつもりはない)

他は毎回スライドをつかって説明してほしいとか、マイクを使ってほしいとかいう技術的なフィードバックについては、対応可能なところは対応したい。前回(2年前)のこの授業はスライドを使って説明したが、教える側としてそれがよかったかというと、そうでもないな、という感想。話すことがかっちり決まっている場合はスライドが向いているが、専門に近い内容だとアドリブでいろいろ話せるので、むしろスライドがないほうが話しやすい(スライドがあるとスライドに縛られてしまいがち)。

あと、毎回の課題の模範解答がほしい、というコメントがあって、これはちょっと微妙な気分になる。毎回前回の内容の復習を授業の冒頭の20分ほどしていて、それで答えは分かると思うので、そうではなくかっちりした答えがほしい、ということなのだろうが、大学院まできたら「かっちりした唯一の答え」を再現することを目指すのではなく、自分で問題を作る方になってほしいというか……。

お昼はアメリカの学部生で、器械学習で日本語の読み推定をしたい、という学生が会いたいというので、時間は取れないがランチを食べながら話すくらいはできるよ、と伝えて自分の部屋で待っていたら、南大沢に行ってしまったらしい……。わざわざ「日野キャンパスで、最寄駅は JR 中央線豊田駅」と書いた上で、かつアクセスのリンクまで送っていても間違える人がときどきいるので、これはもうどうしようもない。

結局夕方に南大沢に行く用事がたまたまあったので南大沢に行ってランチを食べながら話す。学部生なのに LSTM とか Viterbi アルゴリズムとか普通に知っているし(研究室は画像処理の研究室だそうだが)、すごい。Jun Hatori さんの日本語の読み推定の論文を読むといいよ、と教えたりする。将来言語処理をするか画像処理をするか分からないけど、日本語の処理をしたいならやはり奈良でしょうか? と質問されたので、はい、NAIST がベストです、と伝えておく。こういう人が日本に来てくれるといいんだけどな〜。

夕方はオートマトンの期末試験。みんな割とできているみたい。ちゃんとやっていれば80点は取れるような試験にしているので、当然といえば当然ではあるが、できない人はできないようで、仕方ない。毎年1割くらいの学生には不可をつけざるをえないのだが、成績は正規分布していなくて、優や秀のつく学生が大多数で、良の学生はほとんどおらず、可と不可のあたりにもう一つの小さい山がある。可を狙って勉強すると(あるいは無勉強で可が取れたらラッキー、みたいな気持ちで、勉強せずにくると)いかに簡単な問題といえど不可になる可能性があるのだけど、GPA を気にせず単位のみ気にしていたら、そういう戦略になるのかもしれない……。

試験後、人文系の建物で松阪さんとお会いする。科学史・科学哲学の先輩筋に当たる方で、専門は言語哲学だが、最近は機械学習や統計に興味がある、というお話で、自分も学部生のころは言語哲学に興味があり、そこから機械学習を主とする統計的自然言語処理の専門になったので、いろいろ楽しくお話を伺う(というか、自分が学部1-3年生のころに興味があった内容と、松阪さんの研究テーマがドンピシャである)。

そう考えてみると、自分自身哲学の分野で大学にいたかもしれないので、こうやって自然言語処理で教員をやっている、というのは偶然だし、これから哲学の分野に回帰しても全然違和感ないな、と思ったりする。

ビッグデータ人工知能」を読んでいて、著者の西垣通がもともとは計算幾科学の専門だったのに、Stanford に滞在したことをきっかけに人文系に転じた、というエピソードが書かれていて、そういう人生もあるのか〜、と思う。

いずれにせよ、いまはなかなか新しいことに着手できないので、力をためていきたいと思っている。