公平にやると結局不公平

朝起きて国際会議の第2稿を見る。3往復はもうできそうにない。4人とそれぞれ原稿を3往復するより、2人に絞って6往復する方が論文の採択率は上がるのだろうが、それって(研究ではあるが)教育じゃないと思うので、全員が公平に添削を受けられるように調整するのだが、これでいいのだろうか、と思うことはある。研究ってある程度の閾値を超えると一気に成果が出始める、という構造をしているので、閾値を超えるまでは全落ちで、閾値を超えたら全部通る、みたいな現象がよくあるし、先輩や同期、後輩に目立つ成果が出ると、よし自分もやるか、という人もいるので、大学院生全員に査読付き国際会議投稿をしてもらうのは、学生にも教員にも負荷が高いのかも。

しかしとにかく研究に関しても選択と集中をしないことには、全然時間が確保できない。首都大の情報通信の研究室は基本的に研究室で研究テーマを用意しているっぽいのだが、やっぱりこれくらいの規模の研究室で回すには、そうするしかないのかなぁ。外から見てなんでみんなこうやっているんだ?と疑問に思うようなことは、だいたい局所最適解で、これから抜け出すのは並大抵のことではない……。

午前中は自然言語処理の授業。述語項構造解析の話題が出てきたので、修論の話をしてみたり。「トーナメントモデル」って、分かってみればとっても簡単な手法(擬似コードで3-4行)だが、自分で実装するまでは難しそうなモデルだと思っていたし、トピックを1/3にする代わりに、ざっくりいろんなアルゴリズムを実装する授業があってもいいだろうなぁ。(研究室内ではその目的で NLP チュートリアルをやっているが)

午後は南大沢に移動してオートマトンの授業。理解が怪しい場所をアドリブで説明しようとしたが、全然説明できなかった。教える側は教わる側の10倍くらい詳しくないと教えられない、という案件。

夕方は(ものすご〜〜〜〜く負荷を減らしてもらった)国際会議の査読。前回の査読は減らしてもらうのを伝え忘れて死にそうになったが、投稿している国際会議の査読は依頼されたら義務だと思って引き受けている(ただし、投稿しているのと同じくらいの量しか引き受けないので、1本の論文に3人の査読者がつくことを考えると、トータルでは義務を果たしていないだろうけど)。減らしてもらっていてなおかつ secondary reviewer をお願いしたりもするくらいなので、本当に学会関係の仕事をする時間を捻出するのが厳しい(というか無理)。