年俸が700万の准教授

今朝は娘の予防接種。肺炎球菌とHibウイルス、そして四種混合である。この予防接種、同時に打てる数が決まっていたり、何日以内には打ってはいけないという制約があったりするので、スケジュールを自動で決めてくれるウェブサービスがあるのだが、裏では制約付き最適化問題(整数線形計画問題)を解いているのかと思うとワクワクする。このワクチンとこのワクチンを同時に打ちたい、などという制約をいろいろ入れても、一瞬で解を返してくれるのだが、これくらいの規模なら特別なことをしなくても解けるのだろうか。

で、予防接種の予約は妻が入れてくれていたので、行くだけかと思って娘を連れて(雨が降っていたので、抱っこひもで傘をさして)かかりつけの病院に行ったところ、(家にある)問診票を記入しないといけなかったらしい……。「お母さんは家にいるんですよね?持ってきてもらえます?」と言われたが、妻は土曜日には仕事なので、自分が取りに帰るしかないのである。

片道20分を歩いて帰り、車で再度来たら駐車場が空いていなくて家まで戻り、小雨の中自転車で三度目の正直で病院に来て打ってもらった。何度も往復したので余程疲れた顔をしていたのか、看護師さんたちがみんな優しくて、優先的に個室で待たせてくれたり、早めに案内してくれたりして、優しさがありがたいのだが、結局のところ、問診票の記入も含めて予防接種に連れていくというのが自分の仕事だったので、悪いのは自分……。

図らずも自転車で病院に来ていたので、田無の駅ビルまで行って、母の日のプレゼントを買ったりする。母の日と言っても自分の母ではなく、娘から見た母、つまり妻に向けたプレゼントである。昨日で娘は1歳の誕生日を迎えたが、妻も母親1年目を無事終えることができたので、娘と2人でささやかながら感謝の言葉を添えて送ろうと思ったのであった。

そういえば、先月還付申告が認められて申請額全額(5万円ほど)が還付された。妻の妊娠にかかる費用がけっこうあったので、医療費控除が大きかったのである。ちなみに首都大からの源泉徴収票は以下の通り。

  • 支払金額: 7,151,477
  • 給与所得控除後の金額: 5,236,329
  • 所得控除後の額の合計額: 1,740,526
  • 源泉徴収税額: 73,000

通勤手当が年間20万円ほど含まれているが、ようやく年俸が額面で700万円を超えた。昨年は年収660万だったようなので、前も書いたように、奈良と東京では年間150万円分くらい生活水準が違うので、ようやく奈良で550万円前後もらっていたころと同じ妥当な金額に落ち着いてきたように思う(大学教員の年収的には助教と同水準の気がするが……)。

ちなみに自分の大学教員的な年俸の推移は(大学に入るのに1年浪人し、学部で3年留年したが)

である。

過去の年収と経緯は全部日記に書いてあるが、検索でこのページに到達する人のために書いておくと、大学教員はお金をもらえるようになるまでが遅いので、見た感じ年収は高そうに見えるが、たとえば22歳から10年間年収400万だとして4,000万円分機会費用の損失があるので、32歳から65歳までの33年間に少なく見積もっても年間100万円上乗せしてトントンなので、見かけより100万円は少ない計算になる(あと、助教から准教授、准教授から教授、と職位が上がるとき、しばしば転勤と退職を伴うので、退職金の上乗せがほとんど見込めない、という問題もある。実際、自分は国立大学法人公立大学法人で退職となった)。

しかも、こうやって博士号取得直後に助教になることができて、3年間で東京で准教授として働くことができるというのは相当恵まれていて、そもそも留年を繰り返しても博士号を取得できない人も1/3くらいはいるし、博士号を取得しても大学教員になる人はさらに1/3以下だし、博士号を取得していったん大学教員になっても(情報系の分野では)大学を去る人も半分ほどいる(大学教員として働けるほどの能力のある人は転職の結果収入は上がると思うが、実際教員を辞める人は経済的な理由というよりは、教員よりやりたい魅力的な仕事がある、という理由で辞めているように思う)。

自分に関していうと、研究も教育も好きで、それが満足できる職場にいる(研究ができない職場も、教育ができない職場もある)し、経済的にもこれで不満はない(上記には兼業分の収入は入っていない。最大週1日程度、大学での収入を超えない範囲で、兼業することが可能なのである)ので、毎日楽しく仕事をしている。情報系の若手の大学教員には競合する他の仕事とくらべて経済的には優位な点はない(ヘッドハンターからよく転職の案内をいただくが、年収的には800-2,000万円程度を提示される)ので、研究と教育の両方に熱意があり、かつそれらが満たされるような環境でないと、なかなか大学教員を続けるのは難しいのではなかろうか(あるいは、熱意がなくなってしまったほうが仕事は続けられるという環境も、残念ながらあるのかもしれないが)。

研究者としては、研究はしたいが教育はそんなにしたくないという人もいるだろうし、教育が嫌ではないと言っても手をかけないで研究のできる学生だけ教えたい、という人もいるだろうが、自分は手間暇かけて学生が育つのを見るのこそが嬉しい(例えば先日も書いたように学部生の卒論がトップカンファレンスに通ったりするのは相当珍しく、とても嬉しいし、首都大でも、そして学部生でもがんばれば世界に通用する、という、励みにもなる)し、論文も第一著者で書きたいとは特に思っていないので、特殊かもしれない。(その代わり勉強会の量はすごいことになっているが……)

あと、自分でも改めて驚いたが、一昨年は週55時間働いていたのか(NAIST時代は週60時間だったが)。去年はこれが前期で週50時間(出産支援休暇など利用し、娘の出産後に1週間休んだりもした)、後期で45時間と減って、いまでは週40時間(大学で35時間、自宅で5時間)なので、年収の上昇幅より時間の減少幅のほうが大きく、時給ベースで換算すると去年の1.5倍(時給2,400円→時給3,600円)である(汗)ちなみにいまは仕事時間を大幅に減らしているのは、平日の娘の保育園の送りと迎えの両方、そして土曜日終日の娘の相手を自分がしているからである。

(追記)勤務時間を減らすことができた最大の要因は、首都大のダイバーシティ推進室の支援で、子どもが3歳に達するまで、一般業務補佐員(事務仕事などを手伝ってくれる)やティーチングアシスタント(TA)、リサーチアシスタント(RA)を雇うためのお金(年間100万円以上相当)を補助してくれているからである。特にいま研究室でもっともお世話になっているのは TA で、うちの研究室の高水準の基礎教育や情報工学に系の授業に関する負荷を担ってくれているのは研究室2年目(以降)の学生たちで、彼らの力がなければ全くこんな体勢で回すことはできなかったと思うので、首都大の経済的な支援にも、実際に業務を担ってくれている補佐員さん・学生たちにも非常に感謝している。

(追記)2015年は750万に昇給した。