大学の教員になりたい全ての人のために

大学は4日が仕事始め。あまり人がいないのでゆったりと仕事ができる。

これまでにもらっていた修士論文のドラフトにコメントを入れ終わる。まだ送ってくれていない人もいるのだが、大丈夫なのだろうか……。とはいえ、例年は1月中旬がドラフト〆切で、今年だけ1ヶ月前倒ししているので、まだ例年並みなら書けていない人がたくさんいただろうし、そんなにビハインドがあるわけではないと思うが……

昼過ぎ、とあるプロジェクトのミーティング。やはりいろいろな分野の人が集まると、刺激になるなぁ。問題は (実際に作る) 人手・時間が足りていないことで、こればかりはコツコツやる以外どうしようもないが……。

妻から「おもしろいよ」と言われて「1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側」を買って読む。

1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)

1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)

確かにおもしろい。著者は奈良県出身、同志社大学を経て地方公務員から国家公務員になった経歴を持つが、いわゆるエリートコースではないので、ずっと昇進できるわけでもなく、途中から大学の教員になるべく一念発起して公募に出し続け、とうとう最後には現在の職場 (兵庫県立大学大学院・応用情報科学研究科准教授) をゲットした、という顛末記。

自分や妻のように研究大学の大学院にいる人だったら、博士号がないと大学の教員になるのは相当難しいこと、そもそも論文を書いていない人が大学で職を得ることは至難の業であることは常識だと思うのだが、筆者は学部を卒業してそのまま就職してしまったために、そのあたりの事情をよく分かっていなかったが、なんとか時間を作って論文を書き、大学院にも社会人として入学し、アカデミックな経歴もつけて公募を戦い抜いた、という涙と汗と涙の物語 (あ、涙ばかりだった (汗))。

「こんなの大学教員になりたいなら常識でしょ、知らないでなろうと思うのがそもそも間違い」と馬鹿にするのは簡単だが、そもそも近くにそういうのを教えてくれる人がいなかったら (ほとんどの人の場合、そうだと思うが)、分からないことなのだろうと思う。むしろ、アカデミアで常勤職を得たいと思っている方々におかれては、彼女・奥さんや彼氏・旦那さん、あるいはご両親に読んでいただくと、自分がどのように苦しんでいるのか分かってもらえると思うし、「高学歴ワーキングプア」と違う「アカデミアの厳しさ」が描かれているので、「ああ、こんな厳しいところで戦っているのだな」と理解していただけるのでは、と思うのである。

妻と2人で「だよねえ」と思ったのは、筆者を最終的に採用した兵庫県立大学の大学院の元研究科長 (学部では学部長に相当する) が書かれたあとがきで、

 中野先生が私どもの大学院に来られるまで、これほどまでに想像を絶する辛苦をなめられたのか、というのが読後最初の感嘆である。(中略) とにかく、本研究科に来ていただいて大変良かったと実感している。
 万一私が先生からもっと早く (ミシガン大学から帰国された直後頃) にご相談を受けていたとしたら、多分「いち早く博士号 (Ph.D.) を取得すべき」と勧めていたと思う。Ph.D.を取得しておられたならば、あのように多数の大学に応募されなくても済んだ、と思う。
「大学教授にはどうすればなれるのか?」については、学外の人にとってなかなかわかりづらいかもしれない。一般的には、研究者として基礎をみっちりと積んでPh.D.を取得してから大学教員になる、というケースが多いが、産官学連携がますます一般化しようとしている今日では、分野によっては、社会的な経歴、あるいは業績それ自体がモノをいう場合が多くなろうとしている。
 マスコミなどではそのようなプロセスが事細かく報じられることなどはまずないので、大学というところは閉鎖的で、一般の人には縁遠い世界だと思われがちである。(pp.256-257)

という下りで、そもそも博士号なくして (実務経験があれば教授になってお気楽な生活ができる、なんていう適当な本を鵜呑みにして) 教員になるのは、医師免許のない人に手術を任せるくらいなさそうな話であるのは、大学の教員をしている人に相談すればすぐに分かることだと思うのだが (もちろん、特区を作ってそういうことが可能にしてある国もあるし、アカデミックなキャリアのない社会人経験者を教員に迎え入れている大学は、特例でやっているのだろうけど)、なかなか周りに聞ける人がいないと、苦労されるのだなと思う。

もちろん上記の「いち早く博士号を取得すべき」というのは、昔と違って最近は日本でも博士号は取得できる状況になってきたし (以前は特に人文系などでは博士号は取得せず、中退して大学に就職するものだった)、働きながら博士号が取得できる社会人博士の制度も整ってきたからであって、いまは取ろうと思えば取れない学位ではないので、博士号がないと大学教員になれないなんて、なんて閉鎖的な、という批判はもはや過去のものとなりつつある。かんばれば取れるものなのに取っていない、というのが逆に以前と違って博士号がないと教員になりなくい理由の一つになっているのだろう。

ちなみに、妻の専門分野である看護学では、大学の教員の一番下っ端である助教になるためには博士号は多くの場合必要ではなく、最近は修士号は求められることが多いが、学部卒でも OK なことは珍しくなく、それよりは臨床経験がどれくらいあるか、のほうが重要だったりするとのこと。自分の専門分野である情報系では、いまは助教になるには博士号を持っていないとまず不可能で、修士号だけで助教になるのは例外中の例外であろう。昔は優秀な人を博士課程の途中で中退させ、助手 (現在で言う助教) に採用する、というようなことがあったが、いまではこのようなことはまずありえず、もし仮に助教で採用できるポストが空いていま採用したいなら、早急に論文をまとめて短期修了させ、博士号取得を待ってから採用する、という手順になる。

人文系の状況は最近 id:gorotaku さんが 「文系の研究者になりたい人達に知っておいてほしいこと」 と 「公募のしくみ」で詳しく書かれているので割愛するが、理工系でも状況はほとんど同じで、大学で教員になるのは大変なのである (本当は、教員になったあとも大変なのだが、それはまた別の話……)。

このように、時代や分野によって採用の条件や方法も違うので、一概にどうだと言いようがないのが、むしろ大学外の人からみるとよく分からず、「閉鎖的」と思われるのかもしれないが……(でもたとえば「アパレル業界で店長になるにはどうしたらいいか」なんて方法、分野外の人からしたら分からないだろうし、だからといって「アパレル業界は閉鎖的」と言われないのは、みなさん学校は小学校時代から長年通うので、ルサンチマンがあるのではないかと思ったりする。)

また、この本のすごいのは、巻末に応募して落ちた大学名と職階 (教授か准教授か講師か)、募集分野の一覧が載っていること。本当に100近くある。伏せ字になっておらず、全部そのまま。どこが面接に呼ばれてどこかどうで、というようなことも赤裸々に書いてある。さすがにこれは唸るしかない。

あと、もっと直接的に大学教員の採用に興味がある人は、「大学教員 採用・人事のカラクリ」

大学教員 採用・人事のカラクリ (中公新書ラクレ)

大学教員 採用・人事のカラクリ (中公新書ラクレ)

を読まれるとよい。こちらは大学教員になりたい人のための (小手先ではない、実践的な) ノウハウとケーススタディ、という感じであるが、恐らく大学で教員になりたい (高校生〜大学生〜大学院生) が知りたいあらゆることが網羅されていると思う。こういう新書にありがちなうさんくさい本ではなく、割合書いてあることはまとも。ややトピックがいわゆる文系に偏っていることと、ときどき入る蘊蓄が鼻につくと感じるかどうかが評価の分かれるところかもしれない。ちなみに、大学で教員になるためにいちばん「お買い得」な大学は筑波大学らしい (笑) もっとも、こんなことを気にして自分の専門分野や進学先を決めてもいいことないし、自分としては公募に落ち続けながらも論文も書き、学位も一つずつ取得され、コツコツとやるべきことをやって准教授になった前の本を先に読むことをお勧めするが……

自分も教員公募に応募してあっさり落ち、世の中厳しいなぁと思っていたが、上には上がいるもので、地道に目の前の仕事を淡々とこなしていき、できる限りの努力をしていくしかないんだなぁと思い、勇気づけられた。研究・教育職を志望する人も、そうでない人も、大学教員になる七転八倒、いや七転び八起きのこの本、ぜひ読んでもらいたい。