人に話を聞く前には下調べが大事

午前中は aki-su さんの博士論文公聴会医療文書の自動点字翻訳における精度向上法という内容。自分としてはこういうふうに着実に改善を繰り返して世の中の役に立つ、特に全盲の人は点字があるのとないのとで全然違うので、そういう人のためになることをする、というのは "do the right thing" だと思う。eBrailleという彼女ら神戸大学のグループが作成している点字翻訳は、現時点で最高精度らしい。博士論文としては確かにどこが自分のコントリビューションなのか明らかにし、次にどこをどのように改善すれぱいいのか明らかにする、ということも大事ではあるが、このように、世の中を確実によくする動きが進んでいるのは喜ばしいことである。

ちなみに、aki-su さんは現在神戸大学助教をしてらっしゃるが、自分が M1 で入学したとき D3 だったのだが、元々文系出身でプログラミングに苦しんでいたようで、結局満期退学されて神戸大学の研究員になり、この度博士論文の提出にこぎつけた、という経緯がある。NAIST情報科学研究科では満期退学後3年以内であれば課程博士として審査してくれるそうなのだが、3年を過ぎると論文博士になってしまうそうで、今回の論文も論文博士としての審査になるそうだ。仕事をしながら論文をまとめるという作業は気が遠くなるほど苦しいと思うのだが、在学中からずっと一貫して点字翻訳の研究に従事されてきて、頭が下がる。いまの研究もすでに神戸大学医学部附属病院兵庫県点字図書館などで使われているらしく、地道に続けるのが大事なのだなと心を打たれる。aki-su さん、どうもお疲れさまでした!

一言小言を言うと(最近説教臭くなってよくないが……)、こういうふうに先輩が公聴会を開いてくれているのだから、博士号を取得しようと考えている研究室の学生は出てほしい。自分が公聴会を開くときも参考になるし、修士号を取得してから数年間(短くても2年、長ければ5年以上)かけて自然言語処理の研究をしてきたわけだから、なにがしか参考になるだろうし、博士号の審査委員の先生方がどのようなコメントをするのか聞くだけでも勉強になる。けっこう手厳しいコメントもないわけではないが、博士号の取得に求められている研究の水準はどういうものなのか、M2やD1などの早い段階で知っておいてもいいんじゃないか、と思うのである。

話は変わって昼から共同研究の打ち合わせ。インターンシップも兼ねているのでいろいろ確認事項があるのだが、ようやく準備が整ったようだ。間に合ってよかった。
インターンシップと一口に言っても一般的な実習生もあれば、契約社員として働くのもあれば、はたまた共同研究の枠組みでやるのもあるわけで(最後の二つは厳密にはインターンシップではないのかもしれないが)、いろいろな形態があるものだし、都合によってこうしてほしいというのがあれば(事務手続きが増えて面倒かもしれないが)いろいろと対応してくれることもあるので、行きたいところがあれば相談してみる価値はあると思う。
最近読んだ「作家の使命 私の戦後 山崎豊子 自作を語る」

作家の使命 私の戦後 山崎豊子 自作を語る (山崎豊子自作を語る 1)

作家の使命 私の戦後 山崎豊子 自作を語る (山崎豊子自作を語る 1)

で「人に話を聞きに行くときは十分調べてから行くべきで、なんでもかんでも教えてほしいなどと言って相手の時間を無駄にしてはいけない」という話があったが、確かに。

大地の子、読んだときもすごい作品だと思ったが、中国に3年間住み込んでまで書いた本だったのか……すさまじすぎる。自分はドラマ版は飛ばし飛ばしに見て「あれ、少し内容違わないか?」と思ったのだが、どうやら中国側から NHK に圧力がかかり、政治的な内紛に関するところは全部カットしなければならなかったらしい。そうかぁ、それでもこうやってドラマが公開されたことで知った人もいるだろうし、そういう「社会的使命」を考えながら小説を書き続ける彼女に脱帽である。自分も自分の仕事の「社会的使命」について考えることがときどきあるが、こういう意識で仕事をしないといけないのか、と身が引き締まる思いである。
そういえばまだ「二つの祖国」

二つの祖国(一) (新潮文庫)

二つの祖国(一) (新潮文庫)

を読んだことがなかったのだが、この話は第二次世界大戦中のアメリカ一世・二世・三世を対象にした小説で、アメリカで訓練された日本語兵の話だったのか。「日本語兵1人の効果は一小隊に相当する」「原爆と同じくアメリカの最終兵器は日本語兵だった」「日本語兵の存在で日米の戦争の終結は2年早まったと言われている」などなど。

戦時中、アメリカに住む日本人に「アメリカに忠誠を誓うか」「日本に対して戦争することになったら日本を敵にするか」という2つの質問をしたそうだが、この2つの質問が NO, NO だと収容所に入れられるかヨーロッパ戦線に送られ(もしくは日本に帰され)、YES, NO だと日本語教育が施され日本語兵として軍隊に入り、YES, YES だと日本人とも戦う可能性がある戦場に送られた、そうだ。実際親子や兄弟がこの質問で違う場所に入ると、家族が分裂する大問題にもなったし、実際戦場で相見える可能性があった、ということを彼女は突き止めた。そうやって引き裂かれた兄弟の兄へのインタビューにこぎつけ、兄が「弟になら打たれてもいいと思った」と言って嗚咽する、というくだりは、なんということを我々人類はしてきたのか、と憤りを感じる。

こういう話、彼女は全部「そういうことが現実にありえない話を小説に書くことはできない」として、アメリカに1年間住み込んでひたすら文献を探したり、そういう血のにじむような努力をして、身を削って書いているのだなと思って圧倒される。「二つの祖国」、日本語兵の話も興味があるのだが、ぜひこの夏読んでみたい。