東京の中学入試熱は異常だと思う

転職漫画のエンゼルバンク

エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(9) (モーニング KC)

エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(9) (モーニング KC)

がおもしろいのでずっと読んでいるのだが、その中に出てくる人物のモデルとなっている人が書いた
学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識

学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識

がお勧めされていたので読んでみた。

タイトルはたぶん釣りで、内容は大学や高校のブランドがいかに作られているか(特に早稲田とか慶応とか)、という話。「なるほど」と思うこともたくさんある反面、「ドーでもいい」と思うこともあるのだが、大学運営という意味では参考になる。

私立大学だと柔軟に、かつ戦略的にこういうことができるのだろうが、NAISTみたいな国立大学だとどうなんだろう。多少戦略について考えられているように思うし、教員の間にもかなりの危機感があっていろいろと宣伝をしたり、教育に時間をかけたり(ここをきちんとやるのかNAISTの素敵なところだと思う)、東大や京大のように黙っていても学生が集まってくれる大学ではないので、みんながんばっているのがよく分かる。自分も中小規模の大学の教員になって、自分が通いたいような、言い換えると自分の息子や娘を通わせたくなるような、もっと言うと自分の子どもたちが自発的に通いたくなるような、そんな学校を作りたいなぁ、と思うのだけど……(50歳から60歳にかけてやりたいことの一つ)。

そういう視点で読むと、ブランディングや入試制度の変更で学生を集めたりするのって、宣伝でよく目にすることが多いBtoCの企業に学生が殺到するのに似ている。本当は企業を相手に仕事をするBtoBの企業のほうが、安定していたり高利益であったりするのに、学生はちゃんと調べないので目をくれない、みたいな。自分としては、BtoB型の大学のほうがいいと思うのだけど。大学はBではなくU、学生はSだとすると、UtoSではなくUtoB (流行りそうにない言い回しだが……)。

東京の私立中学の試験と合格発表が2月上旬なので、中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソのような私立中学受験にまつわるブログが盛んだが、曲がりなりにも私立中学受験した自分からすると、確かに中学受験は中学受験で意味のあることのように思う。しかしながら、小学校の生徒の過半数が私立中学を受験するような今の東京は変だと思うし、だからこそ東京近辺で子育てはしたくない。(地方出身の人にはなかなか分かってもらえないことなのだが、たぶん自分の近くにいる人たちはまだ子どもがその年齢に達していないから意識しないことなのだと思う)

実は自分がちゃんと中学受験勉強をしたのは10月から1月までの3ヶ月しかないのだが、その3ヶ月でも、毎日11時とか12時近くまで勉強しないと塾の復習が間に合わなかった(そもそも予習できるほどの時間も実力もなかった)し、なんかこれは違うなぁと思っていた。まだ自分の時代は1学年130人中中学受験したのは数人だったのだが、その後半分くらい受験するようになったと聞くし、これは異常な世界である。私立中学学費ランキングなんてのを見ても、初年度納入額(授業料+入学金+etc)100万超えているし、公立中学に行ったら学費は無料なのに、私立中学にこんなにお金を払う理由がない。東京に暮らすのは地方に暮らすのとで年収が100万違っても、授業料で100万円消えるなんてあほらしい(教育は将来への投資だとは思うが、自分が私立中学で受けた授業に見合う金額だとは思えない……)。

上記の「中学受験こそ日本のエリート教育の本流」のリンク先を見ても、中学入試をくぐり抜けた人はエリートである云々と書いているが、そんなのドーだっていいよ、と思う。中高6年間、優れた友人に囲まれて楽しく過ごせたのはよかったが、別に受験勉強しようがしまいが子どもの本質は変わらないだろう(むしろ変なプライドが形成されてしまう)し、たった数ヶ月の受験勉強でパスできる程度の内容なら、そこで学んだことにあまり価値があるようにも思えない。
実際、中学に入ってから中学入試で学んだことで役に立ったと思うことはない。スイミングスクールに通ったこととか、将棋クラブに入ったこととか、校庭でボール遊びしたこととか、ベーゴマやメンコしたりしていたことのほうが遥かに役に立った。自分は大学受験で1年間浪人してみっちり勉強したし、そのとき学んだことは英語も含めてとても役に立っているので、大学受験は選抜の意義があると思うのだが、中学受験に労力を使うのは不毛だと思う(算数でxやyの代わりに○とか△使うとか、なんじゃそりゃみたいな)。その不毛な作業に小学校の感受性の高い時期を使うのはよくないと思うのだが、それを余儀なくさせる首都圏(東京)の教育事情は間違っているんじゃなかろうか。
とはいえ、東京に住まざるを得なくなったら、自分も文句を言いつつ子どもに中学受験させるのだろうけど……(特に地元の公立中学に行きたい理由も、特に特定の私立中学に行きたい利用もなければ、受験勉強しなくていい私立中学に入れ、高校で地元の公立を受け直すように勧めると思う。都立高校はそんなに悪くないと思うので)

自分の感覚に一番近い、参考になったブログとしては、子供の教育を考える〜長男の中学受験に思うがある。

「中学受験のために費やす勉強の労力は無駄ではないか」、という指摘もある。さすがに、小学校3年や4年からの受験勉強は、必要は無いとは思う。だが、算数、国語、理科、社会それぞれの科目の勉強は、とても役にたつと思う。中学受験を経た、世耕弘成参議院議員が言うには、「無駄になったものを何ひとつ無い」のだそうだ。自らが体験していないので、そこまでは、僕は言い切る自信は無いが、頭の知の構造を形作るのには有益なのであろう。ただし、投資時間対効果が高いかどうかは、確かに疑問に思うこともある。
いずれにせよ、どの選択肢も完璧は、無いのである。一長一短があるのだ。その一長一短を考慮に入れながら、どの道を歩ませるかは、意思決定をしなければならないのだ。その各々のパターンで補えないものを、家庭内でカバーすることになるのだ。我が家の場合には、「囲碁、水泳、英語」を「必修科目」として、標準装備してもらうことにしている。
さらに、最近では、次の言葉を語り始めている。「小学校は、囲碁。中学校は、スポーツ。高校は、留学。そして、大学か大学院のどちらかは海外。後は自分の人生を自分で決めなさい」、と。この言葉をマントラのように繰り返すのである。他に必要な基本的な躾は、家で行えばいいのである。
長男は、「中学受験をする」と決めてから、小学校の5年生の秋からの塾通いを始めた。我が家では、5年生の夏までは、囲碁優先である。長男は、6年生になっても夏の囲碁大会には、出場したのである。5年生の時には、団体戦で全国4位だったが、6年生の夏は、念願の全国優勝できた。囲碁の世界も厳しいので、両立は簡単ではない。
中学受験をすると決めたら、長男と一緒に、志望校を定めなければならない。文化祭を見に行ったり、学校説明会にも行ったりした。「本人が行きたい」、と思う学校を見つけることが一番重要なのである。

ということで、なるほど、自分も息子には「小学校は、囲碁。中学校は、スポーツ。高校は、留学。そして、大学か大学院のどちらかは海外。後は自分の人生を自分で決めなさい」と言いたいな、と思ったりもする(囲碁ではなく将棋かもしれないが……)。ときどき海外にも連れて行ってやりたいのだが、はてさてどうなるか。

いずれにせよ、このあたりは自分が子どもを育てる年齢を考えると、45歳周辺で考えなくてはならないことだと思うので、そうするとそのころ自分がどこでなにをしているかに依存する話かなぁ、と思った次第。ずっと奈良にいられたらいいんだけどなぁー。まあ、お呼びがかかったところに行くしかないでしょうな……。