大学教授も楽じゃない

id:takehikom さんの日記の大学教授という仕事〜How To Become A Professorというエントリにて知り、ご飯食べながらつらつらと読んでみた。目に優しい感じなので、30分くらいで読める(笑)

大学教授という仕事

大学教授という仕事

本来はこういう話は学会の懇親会に出たりして内輪話で聞くような話(というかそういうところに行くといつも聞くような話ばかり)であり、若い学生たちがそういう年上の人たちの集まるところに顔を出さず、こういう本ばかり読んで「大学教員の仕事ってこんななんだ」と思うのはよろしくないと思うのだが、最近は Twitter をやっている人も多いし、Twitter で「学生の指導だん。これから研究費の申請書書く」と生々しくつぶやいていたりするのを見るほうがいいんだろうか。でも、やっぱり報われるのは一瞬で、苦しい(忙しいのがずっと続くような仕事なので、Twitter で追いかけていると、後者のほうをより多く目にしてしまうような気もする。書籍だと、ある程度美化して書けるので、1:1くらいの割合であるかのように書けるのが、いいところ(?)。むしろ、こういう状況だというのを知ってそれでもなろう、と思う人は余程であり、そういう人は(一昨日も書いたが)研究の世界から召集されてしまった人なんではないかなぁと思う。

さて、残念ながら杉原さんの授業は受けたことがないのだが、修士号を取得してから電総研に入所し、それから国立大学に助教授、大学を変わって教授に、というのは自分の研究室の松本先生と同じ感じなので、へえ、そうなんだ、と思いながら読んでみた。たとえば、昔は国立大学だったので、電総研から名古屋大に移るのは通産省から文部省へ異動することになるため、自分で「こういう話があったから行きます」と言って行けるものではなく、大学と電総研の間で一悶着あって2年待たされた、とか(もう独立行政法人化したから自分たちの世代は関係ないだろうけど)。あと、学生が何の相談もなしに(つまりノーチェックで)国際会議に投稿し、自分の名前が共著者に入っていたりして、学生に腹を立てた話とか(その後「投稿前には指導教員に見せるように」というルールを作ったとか)、ぶっちゃけた話がいろいろ書いてあり、なるほど、と思ったり、そんなことまで考えるのか、と思ったり。

たとえば、研究所と大学の違いに着いても、なるほどな、と思うのがpp.38-39にかけて書いてある。

 研究者というものは、よい研究テーマを見つけたら、できるだけ早くその研究に取りかかりたいものである。おもしろい研究に没頭することは楽しいし、また国際競争のなかで成果を出すためには研究のスピードも要求されるからである。そして国立の研究所にいたときにはそれができた。これが仕事だったからである。
 でも大学では違う。研究テーマを見つけたら、それは新しく研究室へ入ってくる学生のためにとっておいて、さらに別の研究テーマを探すという作業を続けなければならない。これは、時間の取られる大変な作業である。

(本当はこの前の部分からがおもしろいのだが、引用しすぎになるのでそれは割愛)などという感じで、いかに苦労する仕事なのかということが多少の愚痴(笑)も含めて赤裸々に書いてある。

 いずれにしろ、自分で見つけた研究テーマを自分でどんどん解くことのできる環境と、それを学生のためにとっておかなければならない環境は非常に異なる。私はこれに最初は戸惑ったが、次第に慣れていった。一つのテーマだけに没頭することはできないが、学生の数だけの異なるテーマに並列に挑戦することができ、これはこれでコツをつかめば、それなりに快適な一つの研究のスタイルである。

やはり複数の環境を体験した人の話はおもしろい。あと、これは松本先生もよく昔話で「実はこの問題10年前の○○(国際会議の名前)でやったことあるんやけど、そのときはこうした。今は××があるからもっとうまくできそう」みたいな与太話を勉強会のときに言うのだが、同じようなことも書いてある。

以前に自分で考えてみたけれどうまく解けなかった研究テーマを、学生に話すことはよくある。たいていは、むずかしくて解けないだろうなと内心思いながらである。ただし、自分が昔に挑戦して解けなかったということはなるべく言わないようにしている。なぜなら、それを言うとむずかしい問題らしいという先入観が学生に入ってしまい、解ける問題も解けなくなるといけないからである。「こんな問題があるんだけど、いつかちゃんと考えたいと思っているんだ」というような感じで話す。するとたまに、それを学生が解いてしまうことがある。

ほほー、それはすごい、と思いつつ、自分も「これはうまく行かなかった」とつい言ってしまいがちなので、気をつけないと……。企業の人と話すと、こういう膨大な「なにを試してどれがうまく行かなかった」という経験があったりするのだが、そういう知識を社内で共有して同じ間違いは二度としない、というのも大事だが、大学ではむしろ車輪の再発明とか、うまく行かなかった経験を知らないで同じことをやるというのはある意味学生の特権でもあり、必ずしも悪いことでもないんだなぁと思う。

個人的には「本を書くにはどうしたらいいか」という話(著者はこれまでに20冊以上本を書いているそうだ)も参考になったが、それは読んでみてのお楽しみで(笑) あ、あと「幾何計算駆け込み寺」というページを開設して、実社会の仕事で困った問題があったら送ってください、お手伝いします、という試みを始め、これは自分の専門はほとんど役に立たなかったが、みんなどんな問題で困っているのかが分かってとてもよかったのでまだ続けている、とのことで、これはすばらしいアイデアだと思った。「自然言語処理駆け込み寺」も大学の人は作るべきかもしれない(笑)

しかし、こういった「これはうまく行かなかった」「これは友人をなくす仕事である」とかいう話を書けるのは、早期退職して一線を退いているからかなーとも思う。現役のうちにこういう話を書くと「え、先生こんなこと考えて俺たちに教えているんだ」と思って少し軋轢が生まれそうな……(と心配になるくらい率直に書いてある)