Google に行ったからすごいのではない。すごい人が Google に行ったのだ

初期の無名のGoogleがどうやって世界中の天才を集めたかというエントリを最初に見たとき「これは紹介したい!」と思ったのだが、ようやく紹介する時間が取れる。このエントリだけじゃなく Lilac さんの MIT の MBA スローンスクールの日記、エンジニアとして非常に示唆に富む内容が多い(たとえば「キットカットの有効なマーケティングターゲットはなにか?」という問いに、「若い年代がいい」みたいに答える普通の人がいる中で、「栄養に優れているし携帯性もいいので兵士の食糧として優れている」と答える元軍人の人がいるとか)ので、RSS リーダでの購読をオススメする。

さて本題。少々長くなるが引用する。

まだ全く無名だったGoogleが世界中からアルゴリズムの天才たちをどうやって集めたか、という話だ。

Woojaeは1999年頃、イギリスのケンブリッジ大学の博士課程に留学しており、研究のため物理の研究室にいた。
その時、同じ研究室に、15歳でインドからハーバード大学に留学し、飛び級して7年で博士号まで取得し、22歳にしてケンブリッジ大でポスドクをやっていた天才がいたと言う。
大学では、金属の表面にショックを与えたときに起こる振動を、数値的に計算するアルゴリズムを開発していた。

その彼が、ある日突然、「アメリカの企業に呼ばれて、そこに就職することにした」と言い出す。
「何て会社?」と聞くと、「Googleという会社だ」という。

Google?そんな聞いたこともない会社に何故行くんだろう?とWoojaeは思った。
その数週間後、またWoojaeはGoogleという耳慣れない名前を耳にする。

彼の研究室が入っていた建物の隣は、理論物理の建物があった。
そこには、車椅子の天才、宇宙物理学者ホーキングの研究室がある。
当時ホーキングの研究室には5人の大学院生がいたそうで、彼らはケンブリッジ大学でも誉れ高い、「選ばれた天才」だった。

ホーキング研究室の大学院生は、ホーキングが頭で考えている数式を、
彼の表情や彼が操作するジョイスティックで示されるカタコトの言葉を頼りに、
黒板に板書し、ともに議論することが出来る才能を持っている必要があった。

ところがその貴重な大学院生5人のうち、2人もが突然博士課程を退学する。
「Google」という聞いたことも無いアメリカの会社に行くためである。

その二人は、当時一部で流行っていた、脳科学のアナロジーでアルゴリズムを作って初期宇宙の数値計算をする、という研究をやっていたという。

とにかく、ケンブリッジ大学の物理学科の天才学生を3人も奪っていったGoogleに、Woojaeは興味を持つ。
その後、いろんな人に話を聞いて、事の全容が分かってきた。

1998年にGoogleを創業した、Larry Pageという男が、1999年、世界中の計算機科学の基礎研究に携わっている「天才」学生にアプローチしたらしい。
Larry Pageは、自分のいたスタンフォード大学の計算機科学の教授を5人、相談役として雇う。
その教授のネットワークで、「これは天才だ」という学生を見つける。
その全ての学生に、FedExで、スタンフォード大学の教授の手紙と、ファーストクラスの往復チケットを送る。
「是非あなたの研究について話して欲しい。パロアルトに来て話してくれませんか?」

博士課程の大学院生、しかも優秀な学生の過半数を奪っていくなんて、大学人からすると卒倒級のものだと思うのだが、スマートにこれをできる Google というのはすごいと思う。(よく分からないが茶道の裏千家と表千家のそれぞれ家元の世継ぎをコカコーラ社が待遇と「これから我が社は抹茶を世界に広めるという重要なミッションがある」と仕事の魅力を語って引き抜いた、みたいな感じか?)

そして、松本先生がときどきしている話を思い出した。確か COLING-ACL 2006 という会議に参加していて、当時ATRで主任研究員をしていた春野さんの話をしていたときだったと思うが、どういう研究者になるべきか、という雑談を松本先生がしていた。

曰く、「(超有名な)○○研究所(△△大学でも××社でもいい)に入るなんて、あの人はすごい!!」と思われるような生き方をするのはよくない、「ええっ、あんなすごい人が(よく知らないけど)○○研究所に入ったの?!」と思われるような生き方をしたほうがいい、という話。

確かに松本先生も、電総研から京大の助教授を経て当時は全く無名な(いや、今も知名度は低いが……)奈良先端大の教授として赴任し、いまや「自然言語処理といえば NAIST、NAIST といえば自然言語処理」と言われるくらい(言わない? まあ、そういうことにしておいて)奈良先端大の知名度を上げることに貢献してきたわけで、その生き方はかっこいいなぁ、と思う。(役職間違っていたので訂正しました。正しくは松本先生のプロフィールから)

今や「あの人まで××社に行ったの?!」と言われるような世の中になってしまった(そして××社に入らない人までがそういうニュースを気にする始末だ)が、やっぱりそれは「(超有名な)○○研究所に入るなんて、あの人はすごい!!」という生き方と似ているような気がする。

何回かこの日記でも書いているが、以前 penny さんが Google のインターンシップ終了後、ドクターを中退して「Google に就職する」と聞いたとき(たぶん2004年、一般的になりつつあったが Google がここまで使われるとは自分は思っていなかった)正直耳を疑ったのだが、今思うと penny さんは先見の明があったのだな、と思う(単に自分の目が曇っていただけかもしれない。自分も同じ境遇でインターンシップに行ったら同じ選択をしていただろう、とも感じる)。penny さん、話していてもブログ読んでいても、てっきり大学に残って研究するのだと思っていただけに、そのギャップが印象的だったのだと思う。

そういうpenny さんのインタビューがこちらで読めるのだが、いくつか引用(これもおもしろいので、興味ある人は原文を参照されたい)。

——Googleに入社された経緯を教えてください
林芳樹さん(以下、敬称略) 昨夏、Googleのインターンに参加したことがきっかけです。終了後は大学に戻って博士課程をまっとうしようと思ったんですが、戻ってからとインターン中を比べると、インターン中の方が全然面白かった(笑)。やりたいことができたし、やってることも面白かったんです。結局、博士課程を途中で辞めて、4月からここで働いてます(笑)。
原田昌紀さん(以下、敬称略) 前職は大手の研究所に居たのですが、論文を書くことが主な仕事でした。論文を書くよりはプログラムを書いている方が性に合っているなと思い、いろんなユーザーに使われるプロダクトをつくれるGoogleに転職を決めました。

——Googleというと入社試験が難しいというイメージがありますが……
林 僕の場合、インターンに参加する前の年に、アメリカで大学院の試験を受けていたのですが、落ち続けていたわけですよ(笑)。インターン募集はGoogleのサイトで知って、とりあえず応募してみたものの、大学院試験でこれだけ失敗したなら、インターンの選考もまあ落ちるだろうなと思ってました。運良く受かったもんです(笑)。
(中略)
——Googleで働いていて良かったと思ったのはどんなときですか?
林 ユーザーからいい反響があったときですかね。10月末にGoogle日本語版の電卓機能をリバイズしまして、メディアで取り上げられた数もすごかったんですけど、次の日には何百というブログで紹介されていました。そういう反響があるのはうれしいですね。
  大学の研究では、著名な学会で発表できて、ようやく成果が出たかなと感じますけど、Googleではすぐに反応を見れるわけです。
原田 私にとっても、ユーザーの反応が一番うれしいことですね。ブログもいいんですが、Googleで働く面白さは、自分のつくったプロダクトがどれだけ使われたか、ログを見てはっきり分かるところ。例えばGoogleマップとかは、最近リリースされた機能の中では大ヒットですよね。社内で最近開発されたプロダクトの発表会があるんですが、「私はGoogleマップを出しました」と言うとオーッと拍手がわくわけです。そういうのも大事だと思います。

エンジニアとしてはやっぱり手応えがすぐ分かるってのはすごく嬉しいことだよなー。大学の研究とか、もしくは個人で細々とやっているオープンソースソフトウェアとの大きな違い(もっとも、逆に言うと、誰か他の人が延々これまでがんばってくれていたからこそ、そういう大企業に行くと大きな反響がすぐ得られるので、ただ乗りしていると言われたらそうかもしれないが)。

そう思うと、これまで自然言語処理の分野に来て「この人はすごい」と思った人、たとえば O 野原くんとか、H 原さんとか、takahi-i さんとか、K 原さんとか、就職先を聞いて「えっ?」と思ったりしたのだが、彼らこそ、松本先生の言う後者の「ええっ、あんなすごい人が××社に入ったの?!」というような生き方をしていて、なんかすごいなぁと尊敬するのだった。自分なんかはアカデミック寄りな思考回路をしているので、優れた研究をする人は大学に残るものとばかり思ってしまうのだが、優れた研究をする人は研究以外も優れていることが多いわけで、選択肢は研究者に限られないことを、つい忘れてしまう。

結論があるわけではないが、自分も「ええっ、あの人が△△に行ったの?!」と思われるような、そしてそこの知名度を上げるような生き方がしたいものである。知名度が高ければいいというものではないが、そういう生き方もあるんだ、と後に続く人に夢を与えるみたいな(研究に新規性があることは当然大事だが、生き方に新規性がある、みたいな?)。一応「留年していても(情報系は)大丈夫」という意味で自分は多留年生のロールモデルになっているらしいので、そういう人が「がんばればなんとかなるんだ!」と思ってもらえるなら、大変光栄である(笑)