「脳死状態で社会に迷惑をかけるなら、自分から臓器を提供しよう」

図書新聞の11月4日号に先日高知であった臓器売買事件にまつわる脳死臓器移植問題の記事が載っているそうだ。

結局のところ脳死臓器移植というのは臓器を提供したら助かる人がいるなんて気持ちはあっさりかき消されて、脳死臓器移植に関わる人たちの利権争いの場所に過ぎなくなるのではないかと危惧しているのだが、その行き着くところは表題に掲げているような意見を多数派にしようとする運動(キャンペーンとか教育とか)に収斂していくのではないかと感じる。

上記記事の孫引きだが

法律というのは、基本的に後追いでできるもので、まず最初に事実を作る必要があると法律家にいわれました。私たちが脳死で腎臓移植を始めたのはそのためです。

とあるように、脳死臓器移植推進派はあの手この手で臓器を獲得できる体制作りをするのだが、なぜ推進派はここまで他人の臓器獲得に固執するのだろう?